『松倉米吉歌集』より (大正3年)
わが握る槌の柄減りて光りけり職工やめていくたび思ひし
いつさんに空地よぎりておぼつかな母を離るる身のこの呼吸あへぐ
母を入れてひつたりとさす鉄の扉の音をさびしく出でて来にけり
かなしもよともに死なめと言ひてよる妹におかそかに白粉にほふ
血を喀きてのちのさびしさ外の面にはしとしととして雨の音すも
松倉米吉は「アララギ」に大正2年に入会し、古泉千樫に師事して、作家に励んだ。短歌が唯一の「生きがい」となって職工生活を続けたが、肺病を発病し悲劇の内に夭折した歌人である。大正7年に母を失い、住み込みの職場の養子となり、娘と恋仲になるが、病癒えることなく25歳の若さで一生を終わる。その歌は、ありのままの哀しみを何の衒いもなく率直に詠った歌として私たち後進に今でも残っている。
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