作品紹介

選者の歌
(平成27年10月号) < *印 現代仮名遣い>


  三 鷹 三宅 奈緒子

わが如きをつひの教師と従(つ)きくるる人々のゐて支へられゐる
北のまちに若き日を共にせし吾らいまおのおのにこの街に生く


  東 京 吉村 睦人

ゆつくりと動きゐる雲の下にして早く過ぎゆく淡き雲あり
政治色濃いから選者に向かないと言ひゐることが伝はりて来ぬ


  奈 良 小谷 稔

来襲の爆音を山にて逸早く聴きとる任を兄務めゐし
耳のよき遺伝は父よりか母よりか父は若死ゆゑに知られず


  東 京 雁部 貞夫

我がうから七人ひつそり暮らしゐき父亡きあとの流山にて
新聞配り大学出でし末弟にて定年近き校長か今


  さいたま 倉林 美千子

一つ事業守らむと熱く語る男傍へに居りて子とは思へず
住む国にテロあらば二人逃げて来よ父母は待つしか出来ぬ齢ぞ


  東 京 實藤 恒子

山二つ取り込みし学内いづくゆきても甦り来る森の気を受けて
子のユトリロを母にあづけて女ならではの生命力を描きしバラドン


  四日市 大井 力

うしろに下り見えくるものを追ひ続けその果てに身に付きし気臆れごころ
残りたる時惜しと誰かが言ひしとき何とはなしに次が決りぬ


  小 山 星野 清

夜も昼もうつらうつらと時の過ぎたちまちにして今日も終るか
心急く事はあれども術のなくただ体調のままに時過ぐ


運営委員の歌


  福 井 青木 道枝 *

わが家の壁に天井に揺れおりし水田(みずた)のひかりふたたびは返らず
壇上の選者ら居並ぶテーブルに御(み)顔のみ覗かせ座りいましき


  札 幌 内田 弘 *

鍵ひとつを頼りに帰るマンションの窓は区切られ暗闇に浮く
ビルに付帯する鉄の梯子に陽は当たりその先見えぬ靄となりたり


  横 浜 大窪 和子

高所よりなでしこのサッカー映るとき一羽の白き鳥が過りぬ
たまには踊りにゆかむなどいひ日も決めずデンワのしぐさして別れ来つ


  那須塩原 小田 利文

電気付けぬ部屋のカーテンの隙間より発つ吾を目守る子の影の見ゆ
赴任先の鍵を忘れて戻りたる吾に一瞬かがやく瞳よ


  東広島 米安 幸子

活気づく赤と植ゑたる夏の花燃え立つ花穂に気圧されてたつ
咲くにまかせ水養ひ肥やしを与へしはわが罪なるや衰へはやし


  島 田 八木 康子

春耕に栗の実あまた現れぬ忘れん坊のリスの仕業か
ここにかうしてどれ程居ればかうなるのドアノブ色の雨蛙殿


  名 護 今野 英山(アシスタント)

カルストの隙間に潜みて鉄砲百合の香れる峡に敵を待ちしか
群れ咲ける鉄砲百合にふり向かず人は行き過ぐ世にこともなし



若手会員の歌


  松 戸 戸田 邦行 *

一年で全国歌会に来るのは尚早かと思い悩みしことのありしも
便利また楽そんな言葉に惑わされ心の豊かさおざなりにしぬ


  東 京 加藤 みづ紀 *

出勤の車窓より見る夏の富士共に登りし人を思いぬ
七月の台風近づく四ツ谷駅見上げる土手にあじさいが咲く


  奈 良 上南 裕 *

海釣りの仕掛けのことなど訊きながら仕事を教える年少者吾は
風に散る合歓のおしべのグラデーション針に結わえて魚を釣らん


先人の歌


現代短歌全集、八巻より

渡辺 直己の歌

砂塵あげて荒ぶ夜風に赤々と豊田中尉を焼く火に向ふ
陽がさせば陽炎燃えて遥かなる堂二里鎮に続く道見ゆ
台山に向ふ堤は乾き切りて月見草這へり暑き斜面に
負傷せる匪賊の足が吾が入りし隣の部屋の入口に見えき
帰還する兵を送りて昏るるまで痴呆の如くただに眠りぬ

 渡辺直己はかつての中国戦線に送られ戦死。その戦線にあっての歌は「アララギ」に掲載された。昭和十二年七月召集、山東地域を転戦後、済南より河北省天津青南八キロ八里台の戦闘にて戦死。痛ましい戦場の記憶を誌上に残した。こういう痛ましい事を二度と繰り返してはならない教訓の歌として吾々は受け止めなければならない。


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