近藤芳美歌集 『埃吹く街』より
雨の匂ひ(抜粋)
いつの間に夜の省線にはられたる軍のガリ版を青年が剥ぐ
世をあげし思想の中にまもり来て今こそ戦争を憎む心よ
苦しみし十年は過ぎて思ふとき思想偽るにあまり馴れ居ぬ
吊革に皆モノマニヤの目付して急停車毎よろめきてをり
かぎり無き蜻蛉が出でて漂へば病ひあるがに心こだはる
コンパスの針をあやまち折りしより心は侘し夕昏るる迄
売れ残る夕刊の上石置けり雨の匂ひの立つ宵にして
*近藤芳美(1913~2006)は旧制広島高校在学中アララギに入会。中村憲吉、土屋文明に師事し、昭和26年に「未来」を創刊。常に時代を詠み続ける歌人として知られた。
『埃吹く街』には昭和20年10月から26年6月までの作品が収められている。掲出の連作はその冒頭に置かれるまさに敗戦直後、70年前の歌である。今を生きる私たちの心にもに深く触れてくる内容を持つ。
註:4首目の「モノマニヤ」は偏執狂、偏狂などと訳され、ひとつの物事に凝り固まってゆとりのないこと。
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