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(平成28年8月号) < *印 新仮名遣い >
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○ |
東 京 |
吉村 睦人 |
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百条委員会開かぬと言ふ同じ穴の貉らいやもつと大きな貉ら
「これ以上庇ひ切れぬ」と言ひたるは語るに落ちし言葉と思ふ |
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○ |
奈 良 |
小谷 稔 |
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豌豆の実を摘むいまの現(うつつ)にも地下には不気味に地層軋むか
挿し木にて根づきし若葉のあけび苗鉄削る若き友よりもらふ |
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○ |
東 京 |
雁部 貞夫 |
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横道に逸れるが楽しき座談会かみしも脱ぎて山を語れよ
人に人格山には山格ありと言ひし深田久弥を吾は尊ぶ |
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○ |
さいたま |
倉林 美千子 |
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「きれいだなポリープも無い」朦朧としたる意識の中に聞こえぬ
延命処置を拒みて昏睡に落ちたりと所見述べつつ笑ひ給ひぬ |
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○ |
東 京 |
實藤 恒子 |
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病む子を抱きこの裏道をのぼりゆきし謙作か遠き大瑠璃のこゑ
躙り口をしつらへし書斎の志賀直哉ときに濃茶に憩ひしならむ |
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○ |
四日市 |
大井 力 |
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藍青(らんじやう)の空の下桜の咲き澄みて遠くに排瓦斯燃焼塔(フレアスタック)が二本
公害を克服したるを喧伝しあはれ資料館を残すか街は |
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○ |
小 山 |
星野 清 |
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わが庭に摘みて山椒味噌を作る斯かる遊びも五年ぶりに
老いてなほ力戻るか木の下をくぐりて茂る木草を払ふ |
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○ |
福 井 |
青木 道枝 * |
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わが指に奏でる最後の朝となりひびきは残るピアノにわたしに
ばれいしょの畑はしろき花のとき三角屋根が朝の影を置く |
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○ |
札 幌 |
内田 弘 * |
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紋白の腹が息づき止まりたり良く来たぞ吾がマンションのベランダ
タワービルに見え隠れして日輪は輪郭をぼかし沈みゆきたり |
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○ |
横 浜 |
大窪 和子 |
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外つ国に不思議なる人物現れぬ世界を壊す人かも知れず
銃を取り核兵器保有し隣国を壁にて隔つといへるその人 |
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○ |
那須塩原 |
小田 利文 |
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妻焼きし鱸あり吾が注ぐ冷酒ありて二日遅れの銀婚式とせむ
ジミ・ヘンドリックス蘇りしかと驚きぬ初めてプリンスを聴きしその時 |
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○ |
東広島 |
米安 幸子 |
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つづまりは繙く重き全歌集やたら付箋して背の文字うする
使ふほどに感謝深まる手書にてゆき届きたるこの各句索引 |
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○ |
島 田 |
八木 康子 |
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リタイアの後の十年思ふさま花を育てて暮らす友かも
吹く風に花びら立てて転(まろ)びゆく散りし桜は競ふがごとく |
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○ |
名 護 |
今野 英山(アシスタント) |
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展示する食品すべてがファストフード自然ゆたけき仏の国に
なぜもつと夜の交際しないのか己の価値観おしつけなさんな |
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○ |
松 戸 |
戸田 邦行 * |
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光より早く広がるこの宇宙時速四キロの我には追えず
釣りよりも妻と何も語らずに共にいることこれが一番 |
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○ |
東 京 |
加藤 みづ紀 * |
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土曜日にビールの入った袋下げ父と行く道背には夕やけ
大通りの隅に置かれた古ピアノ毎日異なる人が奏でる フランス・パリ |
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○ |
奈 良 |
上南 裕 * |
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卵ご飯をほおばりながら湯気の立つ菜花の苦きをかじる幸せ
取りおきし鰯の頭を針に刺し鯰を狙えば子供にかえる |
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○ |
高 松 |
藤澤 有紀子 * |
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またこれが役立つ時がきたのかとお仕事スーツに袖を通しぬ
「先生(でんでい)」と我に飛びつく小さき手に初日の不安のゆるんでゆきぬ |
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『うた 金石淳彦 ー 土屋文明選歌集をもとに ー』(平成17年12月発行)より
言にあげず貧しき民ら召されゆき戦ふさまを何とか言はむ
若き命国の難きに殉ふと疑はざりきや老母をおきて
われひとり待ちつつをりておほたでに秋づきし日のさすべくなりぬ
妻の古きアルバム見をりこの妻の一生を吾は仕合せにせず
蛙らはいづくの水に鳴くならむ夜更けし蚊帳に妻と覚めをり
夜半の灯にめさめてうごく小鳥らと血を喀く吾のしづかなる時
夜半さわぐ小鳥にめざめたる妻と物言ふこともなく又眠る
金石淳彦(1911.9〜1959.8)は呉市に生まれ、47歳(数え年49歳)という若さで結核による喀血にて別府に於いて没した。土屋文明の序文・追悼歌を収める「初版金石淳彦歌集」(昭和35年8月5日発行)をもとにしたこの歌集には、その才能を惜しんで、扇畑忠雄、高安國世、近藤芳美、小暮政次といった歌人が追悼文を寄せている。また、五味保義の「金石淳彦の歌」(「アララギ」昭和34年11月号)が収録されている。
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