作品紹介

選者の歌
(平成28年11月号) < *印 新仮名遣い


  東 京 吉村 睦人

人の目を意識するうちは駄目だなと教へ給ひし土屋先生
秋づきし雲と思ひて見上げたり曲がりし背(せな)をいくらか伸ばして


  奈 良 小谷 稔

毛筆のしなやかさ好みボールペンを厭ふは腕の衰へならむ
衰へをわが知りてよりボールペンの文字薄き歌稿にいらいらとせず


  東 京 雁部 貞夫

今宵知るショパンの歌曲の「二人(ドッペル)」は「影法師」のこと示す言葉と
山行は単独行(アラインゲンガー)が至高なり人生は二人で行くもよろしと


  さいたま 倉林 美千子

文明の門ゆゑ土を耕すとある日言ひましきつつしみ思ふ
『黙坐』成りぬ今は癒えたるその声に語りませ君囲みて聞かむ


  東 京 實藤 恒子

同期三人友の書店に集ひたりこの年は曇りて暑き銀座に
中国語の飛び交ふ銀座の雑踏を擦り抜けてゆくわれら異邦人


  四日市 大井 力

病養ふ誓子先生に句を見せて共なりし秀夫君のその後を知らず
稲の刈株の雪を仏飯(ごはんさん)に見たてたる吾が句に先生が声あげられき


  小 山 星野 清

ただ思ふのみにて手を出すこともなく時は過ぎゆく庭に書斎に
体調はよきか腋に挿す体温計の計測完了の音が聞こゆる


運営委員の歌


  福 井 青木 道枝 *

「スマホ」持ちふらふら人のゆく道に雀はつつく弱れる蝉を
髪を耳にくるりとかけるわが仕草「少女の日よりかわらぬ」と君は


  札 幌 内田 弘 *

水溜りに次々羽化したボウフラが老いて濁った血を吸いに来る
寂しくば俺の所にやって来い「かんろ」に一人飲んでいるから


  横 浜 大窪 和子

自力ではクルマに乗れぬ犬を抱き老いて変らぬまなこ見交す
森の上にあがる花火を見て居りぬ影のごと来し人と道べに


  那須塩原 小田 利文

幾月ぶりならむ「パパ」と呼びくれぬ恰も吾が家に過ごす父の日
久々に妻と二人の写真撮りぬニッコウキスゲの群落を背に


  東広島 米安 幸子

ゆく夏を惜しむ母子に伴ひて何はさて措き波の音恋ひきぬ
夏休暇やうやく取れしとテント張る三人の子連れいきいきとして


  島 田 八木 康子

案じつつ待ちゐし末の子が来たり「結婚する」と不意に言ひたり
盂蘭盆に伴はむといふ乙女子の笑顔こぼるるネット画面に


  名 護 今野 英山(アシスタント)

虚しさの込みあげきたり権力に組みこまれゆく序章の宴
若くあらば抗ふべきか身にしみる言葉となりし「頑張らない」は



若手会員の歌


  松 戸 戸田 邦行 *

都合のよき先送りを幾度も繰り返し「未来に託す」は傍ら痛し



  東 京 桜井 敦子 *

ベルギーにチョコレート味の切手あり手紙書く人増えただろうか


  奈 良 上南 裕 *

乳を垂る朱のチチタケでとる出汁のいりこの香りのうどんはうまし


  高 松 藤澤 有紀子 *

これが現実と枯葉剤を浴びし人らは写真の奥から我らを見つめる


先人の歌


歌集『遠き木立』より    三宅奈緒子

或るときの君のことばに縋るがにゐたる一日の夕暮れにけり
夜の舗道ゆくときにそのポケットにわが手をとりぬ寂しと言ひて
人の忘れゆきし腕時計かたはらに置きて立ち居す今日の一日を
白梅の花散りがたの下に出でて君を見送る今日は妻として
何時何時と思ひし道をわが道と帰りくるなり昨日も今日も
会ふをただ待ちてゐたりし時よりも寂しき日あり青菜洗ひて 

*三宅奈緒子選者のご冥福を祈って、先月にひき続き歌集より抜粋しました。


バックナンバー