作品紹介

選者の歌
(平成29年1月号) < *印 新仮名遣い


  東 京 吉村 睦人

いつになつたら人間は戦争を止めるのか滅亡した時さと言へる者あり
立ち並ぶマンション見つつわが思ふ四十年のここの町並


  奈 良 小谷 稔

掘りてすぐ洗ひし薯の秋深き畑に明るし鳴門金時
甘藷にも温暖化見ゆわが畑に花咲きし二〇一六年


  東 京 雁部 貞夫

群山の奥にそば立つ白山よ雲の合ひ間に朝(あした)輝く
しばしして雲は崩れて山おほふ遠く恋しき加賀の白山


  さいたま 倉林 美千子

名を呼ばれ救急処置室に気付きたりいかにしてここに着きしか知らず
しつかりと応答せりと人言へど記憶はホームドクターに辿り着くまで


  東 京 實藤 恒子

わがよろこびの次ぐ日は招かれ茅葺きの茶室にいただく懐石の膳
舟形の釣花活けの芙蓉のしろ茶室の主の魂(たま)にてあらむ


  四日市 大井 力

被曝後にやむなく餓死せし牛の墓枯枝無造作に立つる映像
牧場の下の断層あらはなる亀裂かまはず牛飼ふ主


  小 山 星野 清

夢のごとく振り返り見る月々の会議の後のしばしの円居
朝より晴れたる庭に飛び来たり鵯はしばし啼き止まずゐる


運営委員の歌


  福 井 青木 道枝 *

大風にざわめく林に赤白の帽子散らばり園児ら遊ぶ
むらさきの花には一つ蝶のいて高原(たかはら)を吹きわたる大風


  札 幌 内田 弘 *

コンビニのお握りたちが酔い覚めのスナック帰りを誘惑している
穴に籠り性(せい)なき幼虫を産み産みて女王蜂はコロニーに死す


  横 浜 大窪 和子

隣る座席に次つぎ替る若者のスマホの仕ぐさ横目に見て居る
アイべックスといふ会計のソフトなり帳尻合ふまで月ごと向ふ


  那須塩原 小田 利文

小惑星一七四七三いつか観む「フレディ・マーキュリー」となりて輝くを
櫟(くぬぎ)の実転がりて坂を上り来ぬ台風の名残の風に


  東広島 米安 幸子

大統領の来広に湧きし広島はこの秋赤き装束にわく
歳の差はとしの差だけは追ひつけぬと才ある友に言ひて何せむ


  島 田 八木 康子

思ひの外の前かがみらし丹田に力込めよと主治医の声が
一日に読める有料記事の数超えて立ちあがるパソコンの前


  名 護 今野 英山(アシスタント)

学校と軍司令部と病院とここにありしをわづかに記す
エイサーの仕舞はいつでも「唐船ドーイ」待ちわびし船の絶えて久しき



若手会員の歌


  松 戸 戸田 邦行 *

幾たびも話しメールし訴えぬされど義父には届かざりけり



  東 京 加藤 みづ紀 *

妹と手をとり合いて仰ぐ空流れるオーロラ街を包めり


  東 京 桜井 敦子 *

新調(さら)の靴履いて颯爽と出勤すれど胃の腑で蝶蝶暴れまわる


  奈 良 上南 裕 *

公園の鹿に与うと偽りて椎の実あまた袋に集む



  高 松 藤澤 有紀子 *

朝日の中に駆け出でてゆく少女子(おとめご)の黒髪光る春誇るごと




先人の歌


斎藤茂吉歌集『あらたま』より

かりそめの病といへど心ほそりさ夜ふけて馬のおとをこそきけ
うつつなるわらべ専念あそぶこゑ巌(いわお)の陰よりのびあがり見つ
ゆふづくと南瓜ばたけに漂へるあかき遊光に礎(さわり)あらずも
はつはつに咲きふふみつつあしびきの暴風(あらし)にゆるる百日紅のはな
朝ゆけば朝森うごき夕くれば夕森うごく見とも悔いめや

斎藤茂吉の第二歌集『あらたま』の歌である。この自在さに瞠目する。まさに個性的な感じ方、個性的な言葉の遣い方、どれも現代にあっても新鮮である。この歌集が刊行されたのは大正10年、今から96年前の事である。

再び斎藤茂吉を読み返している。改めてその歌の個性的な感じ方や大胆な詠いぶりに惹かれている。
                         内田 弘


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