作品紹介

選者の歌
(平成29年2月号) < *印 新仮名遣い


  東 京 吉村 睦人

病院の最後の夜を今頃は妻は寝返り打ちゐるならむ
精悍な顔付きのまま死にてゐる蟷螂をしばし(てのひら)に置く



  奈 良 小谷 稔

支流二つ落ち合ふところ空開け喜佐谷の小さき村に下りぬ
(きさ)川に沿ひたる村を下りゆき人間を見ず田に稲を見ず


  東 京 雁部 貞夫

(はふ)られしは長屋王とは思はぬと(つか)のほとりの草を刈る人
藤原氏の権勢欲のすさまじさ皇子(みこ)いく(たり)も抹殺せりき


  さいたま 倉林 美千子

勤め果たしし昂りはなほ続きゐて翼は東京の灯に近づきぬ
降下する翼の下の灯の果てに待つ人のあり帰りてゆかむ


  東 京 實藤 恒子

開け放てば野太き蝉のこゑきこゆ今日も書き継がむ意欲わききぬ
左千夫の碑に触るれば遠きほととぎすに子規を思へり死に近き子規を


  四日市 大井 力

三百軒ありし牛農家すべて去り残るは「希望の牧場」一軒といふ
不要牧草の寄付を募りてボランティアを頼みて運び凌ぐといふぞ


  小 山 星野 清

座席よりグラス目にして見下ろせばスコアの題が読めるよ今日は
栗色の髪の主席に導かれ辻井伸行ピアノにつけり


運営委員の歌


  福 井 青木 道枝 *

フィギュアスケートの国際審判の資格もち数学教師を貫きし父
ポケットにさっき入れしをもう忘れ「きれい」と母は赤き実ひろう


  札 幌 内田 弘 *

白亜紀の恐竜が絶滅した(のち)に極小ヒト族の大陸移動
鰭呼吸の便利さ捨てて僅かなる空中からの酸素を望みぬ


  横 浜 大窪 和子

如何にして最新兵器を備へしか不戦誓ひ来しこの国にして
形ばかりの訓練言ひ訳に若きらを内戦の南スーダンに送るといふか


  那須塩原 小田 利文

退職の日までの月日数へたりそのあと二十年生きる前提にて
「驚くべき番狂はせ」に世の終りのサイン伝へし聖句を思ふ


  東広島 米安 幸子

三万人のありがたうコールに送られて右手上ぐるも俯きて去る
球団が原爆ドームの保存など願ひて市民に感謝の寄付数億円


  島 田 八木 康子

「与へよ取れよ」共同募金はスイス発道辺の樫に吊りし箱より
広島に誓ひし舌も乾かぬに核兵器禁止条約に反対するか


  名 護 今野 英山(アシスタント)

朝もやの覆ひて見えぬ背振山(せぶりさん)瑞穂の国を惜しみし空海
果てもなく広がる黄金(わうごん)一輌の電車が走りその中にゐる



若手会員の歌


  松 戸 戸田 邦行 *

「お母さん」息子が妻を呼びくるる我を未だに親父と呼ばず



  東 京 加藤 みづ紀 *

祖父母住む隣の空き地に家が建ち見慣れた空の狭くなりたり


  東 京 桜井 敦子 *

殺せずに数日部屋をさまよう羽虫疲れ果てたかわが手に停まる


  奈 良 上南 裕 *

傷のある父のナイフを握りしめ電気工事の実習始む



先人の歌


正岡子規 「雨中庭前の松」の歌

松の葉の葉毎に結ぶ白露の置きてはこぼれこぼれては置く
緑立つ小松が枝にふる雨の雫こぼれて下草に落つ
庭中の松の葉におく白露の今か落ちんと見れども落ちず
玉松の松の葉毎に置く露のまねくこぼれて雨ふりしきる

子規晩年の歌。病床にあってガラス戸越に雨のなかの松の葉を凝視する作者に深い敬意を感ずる。凝視する作歌の基本を思って、いつも迷うと子規の歌を読む。幾度そうやって過ごしたことか。それを思ってここに歌を紹介する。

                         大井 力


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