作品紹介

選者の歌
(平成29年3月号) < *印 新仮名遣い


  東 京 吉村 睦人

このあたり一面畑だったといふわづかに残るを耕す翁
鳥の塒になるといひて駅前の路樹にはどれも網かぶせあり


  奈 良 小谷 稔

洋行まへ茂吉先生脚気の身養ひたまひきここ富士見にて
離れ座敷にゆく道の雪掻き退けてわれらの訪ふを待ちくだされき


  東 京 雁部 貞夫

鴎外の「渋江抽斎」が(かがみ)とぞ君の一首を喜びとする
人物の羅列のみなりと人言へど史伝は楽し謎解くに似て


  さいたま 倉林 美千子

良く晴れし冬の林をゆき歩み長く秘めゐしことを語りぬ
櫟林は乾きて風に音をたつ天狗松までこのまま共に


  東 京 實藤 恒子

阿智神社の苔むす栃を仰ぎつつ祈りつつ防人は出でてゆきしか
(おも)父を祈りて出でゆく防人は今の世に無縁と言ひ得るやいな


  四日市 大井 力

数多の勝負に他人(ひと)に涙を流さしめしわが国者(くにもん)沙保里いま泣けるとき
吾等住む伊勢の選手が四連覇叶はずに泣くはばかりもなく


  小 山 星野 清

客観に徹し写実を極むれば更なる世界を拓きし御舟
四十歳(よんじふ)を越えしばかりに終れども速水御舟の偉業は今に


運営委員の歌


  福 井 青木 道枝 *

わが内より言葉となりて立ち起こるマグマ持たざる生き方は嫌だ
理論物理学究める夫と共にありて紙とえんぴつ(たかま)る熱と


  札 幌 内田 弘 *

列島の海岸線を結びゆく原発は遂にヒトをも壊す
拳下げ項垂れれば変わるかよ原発再稼働忽ち開始


  横 浜 大窪 和子

もう長く逢ひませんねと逢へる日のあるごと対ふ写真の母に
吹き寄せられ踏まれし落葉なほ踏みて甦りくる憂きこと一つ


  那須塩原 小田 利文

職を得て再び手にする日のありや「賞与」と記す明細票を
子育ての難さ極まるかあと二年の単身赴任を妻は望まず


  東広島 米安 幸子

「まづ生きむ」きみの一首に拍手せり仲間の一人と思ひてわれも
大きくも肌理細やかなる聖護院(しやうごゐん)大根すこし考へ買ひて帰りぬ


  島 田 八木 康子

大井川の治水に財を尽くしたる遠きみ(おや)を聞きし日ありき
気の向くまま流れを変へし暴れ川わが岸町もかつての岸か


  名 護 今野 英山(アシスタント)

居酒屋の器は唐津に伊万里焼玄海の干魚あぶりて飲みぬ
常連の客に交じりて乾杯すこの日は吾も佐賀の酒飲み



若手会員の歌


  松 戸 戸田 邦行 *

思案して筆の進まぬ義母を見て義父が助ける我ら微笑む



  東 京 加藤 みづ紀 *

そろばんのように並んだころ柿の箱に満ちるは太陽のにおい


  東 京 桜井 敦子 *

伸びすぎた髪の毛を切り自転車をとばせば風が梳いてくれる


  奈 良 上南 裕 *

工事士の試験に力を出し切りて終われば迷いし問いを告げ合う



  高 松 藤澤 有紀子

与えられすぎて何にも喜ばぬさびしき児らのこのごろ増えたり


先人の歌


曇りながく    三宅奈緒子歌集「白き坂」より

人責むるこころにたどきなかりしが夕べピーマンを青くいためぬ
熱きスープ飲む間も吾の嗚咽してながくひとりの膳に向きゐつ
榎の木の葉散りつつ曇りながき日に梨を食ひつつ吾は怠る
枯れし胡桃葉匂ふ空地を通ふなり人を嘆くも去年の日のまま
ただ笑みて集ひの中にゐし寂し草地をひとり帰り来にけり
誕生日の夜の他愛なきいさかひを思ひ出でをり柚子しぼりつつ

 昨年の9月、病気療養中であった三宅奈緒子先生が亡くなられた。新アララギの選者であり、その作品は結社の内外に多くの愛読者を持ち、上梓される歌集はすぐに売り切れてしまうのが常だった。
 「白き坂」は昭和21年から36年に詠まれた作品が収められている、作者の第一歌集である。20代半ばからの、若い揺らぎに満ちた作品を深く味わって頂きたい。


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