作品紹介

選者の歌
(平成29年8月号) < *印 新仮名遣い


  東 京 吉村 睦人

号外の「安倍内閣総辞職」の大き文字夢にてありき正夢となれ
同い年の君にてあれば心合ひき時に激しく諍ひたりき 悼葉山修平


  奈 良 小谷 稔

老いの身をかく自転車に乗り得しとみづからのため写真に残す
足なへぐ友よふたたび鍬を持てホトケノザ咲きはびこりやまず


  東 京 雁部 貞夫

自転車に乗らば五分か夏日なる二十五分に喉(のど)がひつつく
若者はたちまち鍵を付け替へぬついでに空気を入れておくよと


  さいたま 倉林 美千子

今年の桜も見たりと勇み振り返る夫に続きぬ人混みの中
学生の二十人も年々連れたりと夫は呟く上野の花に


  東 京 實藤 恒子

敗戦後のわが家の年中行事にて春の野に遊びつくし摘みにき
灯の下に土筆のはかま取り終へて一日の行事たのしかりにき


  四日市 大井 力

われのみのすみれ忌即ち伸一忌明日に控へて忠郎さんの訃
授かりし時を縮めて刻々と雪柳小手毬花のとき過ぐ


  小 山 星野 清

菜の花に囲まれて別れ告げたいと言ひゐて逝けり菜の花の季に
汝の著書『ダイコンだって恋をする』に菜の花を添へ柩を閉ざす


運営委員の歌


  甲 府 青木 道枝 *

こんな時がいつかもあった水湛える田のなかの道ふたり静まる
たどたどと母詠むうたを書きとめる命にてあれば欠詠させじ


  札 幌 内田 弘 *

沈黙が犇く地下鉄一両目制服の春が運ばれてゆく
海苔焼いて昼はワンカップ大吟醸ひたすら妻に外出うながす


  横 浜 大窪 和子

長く長く続け来し会社己が手にて閉ぢしをせめての幸(さいはひ)とせむ
父の世より受け継ぎし社名汚すなく収め得たるを沁みて思へり


  那須塩原 小田 利文

退職を祝ふランチのカフェ・オ・レにメッセージ浮かぶ「オツカレサマ」と
退職後の一月(ひとつき)くらいは楽しまむ悠悠自適は遥か先なれど


  東広島 米安 幸子

へこみては直りて詠みこしわれに似る人かと親しみ投稿歌読む
月五首の投稿久しくなる人の老いを迎へて深まる調べ


  島 田 八木 康子

走つてはいけない廊下を駆けて来ぬ本に目覚めし子が図書室に
生き生きと若やぎゆくと人ら言ふ新たなる職得しわが夫を


  名 護 今野 英山(アシスタント)

連作の掉尾を飾る希望の絵ミュシャはこの時ナチスを知らず
迫りくる大画布(キャンバス)の中に人々の訴へるやうな眼(まなこ)の潜む



先人の歌


歌集 『楝並木』(平成29年6月10日発行)より

片麻痺の身に背広つけ行かむとす今日はわが家の上棟の式
露を持つ樹あり持たざる樹のありて朝の樹下の足の訓練
ガラス瓶溶けし団塊(かたまり)踏みゆきぬ原爆と知らざりし広島のまち
散りたるも開ききりしも開かぬもみな親しかり山茶花の花
つぎて見る夢は古墳にこもる夢古墳の記事を幾日読みつつ
いたはらず滅びず増えずこの万年青父の形見の幾十年か
突く杖に邪魔なるものをヤブカンザウここに二茎花咲きて立つ
わが座高超えて伸びゆく百合の茎いづくまで伸ぶ蕾固きに
わが乗れる車椅子押してゆく妻よ汝も乗りたからむか力無く押す
万葉の忘れ草と知りし藪かんざう二月の庭に競ひて萌ゆる

 菱川博義(1912.6〜1993.3)は岡山県津山市に生まれ、昭和8年アララギに入会、土屋文明に師事。昭和10年から2年間、呉二中に赴任した扇畑忠雄の指導を受ける。渡邊直己遺歌集の刊行に尽力した(歌集『百日紅』附録「菱川君のこと」より)。
 『楝並木』は作者が遺した草稿を令嬢の菱川慈子さんが第二歌集として出版の際、第一歌集『樫の実』、遺歌集『百日紅』と3冊一緒に、『菱川博義全歌集』として纏め、2017年6月に出版された歌集である。その帯紙には “アララギに 「歌は命」と生きた父 今、甦るその命”と記されている。


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