ゆく年の歌
鶏頭の紅古りて来し秋の末や我れ四十九の年ゆかんとす
伊藤左千夫
風露草のつひの紅を手にとりてわが五十九の年すぎむとす
以下 土屋文明
僅か残る歯を治め補ひ賜はりてわれ八十五の年越えむとす
歯一枚植ゑれば隣りの歯がゆらぐああ八十年八十年
ゆく年、来る年は一種の感慨があるが年齢を詠むのはそれなりに作者は感慨をこめている。
左千夫作は大正元年秋の末頃、一九一二年秋、彼は一八六四年八月生まれなのでこの作の時は満四八歳である。四十九は数え年である。
文明の五十九の作は昭和二三年(一九四八の年末頃)なので一八九〇年九月生まれの彼は満五十八歳であるからこれは数え年である。
ところで「年齢のとなえ方に関する法律」によって昭和二五年以降は満年齢で数えることになった。文明八十五の作は一九七六年の初めころなので満八十五である。
次の「ああ八十年八十年」は一九七六年の春ころの発表なので満八十歳となる。つまり文明の場合は昭和二十五年以降は満年齢でそれ以前は数え年である。
三十九と四十が世代を分けるように、また五十、六十、七十なども人生上のひとつの区切りである。
小谷 稔
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