作品紹介

選者の歌
(平成30年1月号) < *印 新仮名遣い


  東 京 吉村 睦人

父も母も長からずして世を終へぬ八十八歳目前にわが思ひゐる
還暦の集ひに生きたき年言ひ合ひ九十五と言ひ厚かましと言はれき


  奈 良 小谷 稔

この面(つら)をニュースに見ずなる時を待つ吾老いてただ座視のみなれど
わが一票いかに生きるか往きも帰りも嵐の前の雨暗く降る


  東 京 雁部 貞夫

伊能大図(だいづ)の石巻図幅ここにあり実測図なり国宝なりとぞ 伊能忠敬資料館
昼は歩測を夜は天測くり返し忠敬努めき五十一歳


  さいたま 倉林 美千子

敬ひし親しかりし人ら世を隔てもの書く興奮を削がれてゆくも
風雨去りてしどろに倒れし穂薄のその一叢に日の差して来ぬ


  東 京 實藤 恒子

感動を事務室に伝へ帰りぬと聞けばおのれの心ゆくなり
心尽し「百人一首」の講座終ふ夕光にパンパスの穂の五六十


  四日市 大井 力

災害ならとも角ミサイルにJアラート響かせるとき来りてならず
防空頭巾幼くて冠りし感触のよみがへり来て何ともかなし


  小 山 星野 清

命あるよろこび覚えオルガンの轟きの中に身をゆだねゐつ
都会に出てひと日遊びて帰るさに利根を越ゆれば心やすらぐ


運営委員の歌


  甲 府 青木 道枝 *

手のうえの柘榴に浮かび来る記憶あらんか町の名を言う母は
生きる世に最もふかき歌の友といつしかなりて母とわたしと


  札 幌 内田 弘 *

Jアラートに国民保護を口実に九条改憲の煽りが来たぞ
非力なる蟻はトウキビの一粒を行列に運ぶ夏の始まり


  横 浜 大窪 和子

息喘ぎふいに斃れし軍馬を見し山里の辻よ疎開児にして
母が待つと終着駅に向ふ夢覚まししひとをしばらく恨む


  那須塩原 小田 利文

公園のベンチに誰が置きたるか風に揺れ止まぬ蛇の抜け殻
那須岳の雲に隠るる朝にして吾ら去りゆく那須野が原を


  東広島 米安 幸子

ひと夏を窓に陰して風を呼びし広葉はまばらに雨に洗はる
諾ひて相槌うちて聞きてゐるいつもは明るい声くぐもるを


  島 田 八木 康子

外側は何色ならむ虹の絵をせがまれ空にホースで描く
橋の真中に月見る宴思ひ出は島田大橋開通前夜


  柏 今野 英山(アシスタント)

香り高き古酒(くーす)並べてそれぞれに思ひ起こせよ沖縄人(うちなんちゅー)の顔
三年の沖縄暮らしの走馬灯回ることなき赤提灯は



先人の歌


歌集 万葉線   勝木 四郎

万葉線 より
万葉線の一輌電車に妻と揺られ母の古里の街を今日ゆく
渋谿の「つまま」を見むと妻と歩む凪ぎて海潮の透きとほる磯を
鬼蓮は枯れて囲へる枠の中の水に渡り来し鴨四五羽ゐる
布勢の海のあとは大方休耕田にて黄になびく背高泡立草の群

紫水館跡 より
年々に集ひて歌を論(あげつら)ひし紫水館跡に君と今日たつ
逝く春の湖に映れる鹿島の森しみじみと見つ従ひてきて
藪肉桂しげり小暗き島の道に這ふ赤手蟹いまだ小さし
吉崎にて聞きし陰口なつかしむ採らずの吉田落としの落合

後遺症 より
かにかくに二年過ぎたり後遺症なき身喜べと医師に言はれて
舌もつれ緩く喋らむと意識するこの虚しさは言ふべくもなし
何もかも億劫になりて昼寝せり歌稿の束を枕辺に置きて
身辺に競ふ幾人か居りし日は今よりいくらかわれに覇気ありき

勝木 四郎
 「アララギ」「新アララギ」「柊」に所属 し、「柊」の代表・選者。(1928年福井県に生まれ〜2017年に死去)
 「万葉線」は「荷役線」「雪もよふ雲」「足音」につづく第四歌集であり、2005年に出版、終の歌集となった。


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