作品紹介

選者の歌
(平成30年4月号) < *印 新仮名遣い


  東 京 吉村 睦人

最後の別れに来たりし兄なりしか常より長く握手をしてゐき
自から認知症と言ひをりし友その電話も来なくなりたり


  奈 良 小谷 稔

寝室は一間保てる和室にて月に障子の白き夜のあり
湯たんぽに身のあたたまりふと思ふ寝床を分ちし歳も忘れぬ


  東 京 雁部 貞夫

上野公園にひしめく群集三万余九月一日午後の四時半
震災に耐へしと思ひしニコライ堂全き廃墟となりゐしを知る


  さいたま 倉林 美千子

みぞれ降る窓に寄りゆく視野の中白き椿が筋引きて落つ
月の下に森あり森影の家々の灯がおぼろなり人の世の灯が


  東 京 實藤 恒子

ほつとして見上ぐる夕べたなびける豊旗雲は須臾に染まりぬ
さながらに白き炎か夕光にパンパスの穂群は風にそよげり


  四日市 大井 力

寒のさ中未熟児として生れしを末なき者と言ひにし父母か
地に落ちし葉がおもむろに色変ふる刻をしみじみ思ひてゐたり


  小 山 星野 清

寒風の吹き抜けてゆく日に思ふ疎開して知りしあばら屋ぐらし
寒ければ授業は措きて校庭を息弾ませて走りしことも


運営委員の歌


  甲 府 青木 道枝 *

まっすぐに山に面向け歩きたる少女のあの日のつめたき風だ
朝のひかり及びてゆるぶ黒土の影置くところ霜しろじろと


  札 幌 内田 弘 *

オリオンの輝く(もと)でミサイルを撃ち合うボタンを本当に押すのか
反権力を表現の自由を詠み居れば「言語警察」が駆けつけて来るぞ


  横 浜 大窪 和子

いざや見むスーパームーン輝くとウエブに知りて窓を開きつ
穢されし少女の像を他国にまでこれ見よがしはかなしすぎぬか


  能 美 小田 利文

見えぬ君語れぬ君が声を合はす一つメロディーは吾を充たしつ
旧党首一人さびしく笑ひをり緑色映ゆるポスターの中


  東広島 米安 幸子

谷を暗めふりくる雪にたちまちに樫の林の華やかとなる
ふる雪に遠近うしなふ窓の外風なく音なく降りしきる雪


  島 田 八木 康子

坪庭に鯉はゆつたり身を返す水面に張りしネット揺らして
にこやかに声を掛け来しこの人と話しつつさて誰か分からず


  柏 今野 英山(アシスタント)

ホームページに歌を競ひし君とわれ諏訪の歌会にまみえし(えにし)
君逝きてやうやく歌集の届きたりそこには吾の知らぬ断面



先人の歌


斎藤茂吉歌集『つゆじも』より

くらやみに向ひてわれは目を開きぬ(かぎり)もあらぬものの(しづ)けさ
朝のなぎさに(まなこ)つむりてやはらかき(あま)(ひかり)に照らされにけり
あららぎのくれなゐの実を()むときはちちはは恋し信濃路にして
今しがた牛闘ひてその一つ(つの)折れたるが(みち)のうへに立つ
くたびれて吾の息づく(かま)(なし)の谷のくらがりに啼くほととぎす

斎藤茂吉は、大正六年十二月長崎医学専門学校教授、県立長崎病院精神科部長として赴任した。茂吉の第三歌集であり、大正十年三月、長崎を去るまでの時期の歌の中から五首を抽出した。この時期は同時に『短歌に於ける写生の説』(大正九年)が書かれた時期でもあった。「実相に観入して自然・自己一元の生を写す。これが短歌の写生である」と規定付けたのである。「写生は生を写す」として、根拠を東洋画論の用語によって証明し、現実的な生命主義の確立を目指した。


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