作品紹介

選者の歌
(平成31年4月号) < *印 新仮名遣い >


  東 京 吉村 睦人

しののめか夕づく頃か目覚めしてしばらく分かちがたきときの間
ショーウィンドーに南瓜が一つ置きてあり何を販ぐ店にてあらむ


  東 京 雁部 貞夫

知内しりうちの浜に琥珀の珠拾ひ興ぜし日あり君も若くて 三宅奈緒子氏
三十年ひとり暮らすに悔いなしと問はず語りに言ひたまひたり


  さいたま 倉林 美千子

老い二人暮らすも限度ハーゼンベルクのホテルを売るとだしぬけに言ふ
立ち上げし折よりの思ひ察するにホテルの買ひ手つきたりと告ぐ


  東 京 實藤 恒子

大学葬の案内状に涙あふる青木たか子先生逝きたまひたり
好まれし「誰もいない海」の合唱を聴きつつ君の寂しさひしひし


  四日市 大井 力

五十七年前の記憶のはやおぼろ中禅寺湖畔にかがやく雲も
月後に凍れる滝といふを聞く紅葉の奥にとどろく飛沫


  別 府 佐藤 嘉一

一片の悔いもなく引退すると言ひしとき涙溢れて襟を濡らしぬ
六十三連勝の白鵬を破りしかの時の力ある相撲吾忘れ得ず


  小 山 星野 清

肌を刺すいたき寒さに今朝は会ふ十二月十日ごみ出しにでて
久々に歌舞伎を見つつ母を思ふただ一度芝居に伴ひし母を


運営委員の歌


  甲 府 青木 道枝 *

霜ふりし葦の茂みを鴨の二羽三羽飛びさり水のひかる
湿原の道はここより水の底ふりいでし雨に水の輪つぎつぎ


  札 幌 内田 弘 *

唐突に犬が身震うこの路地に酔った俺はクシャミしている
浄土教の経緯いきさつを図解する本を棚に戻せば忽ち現世


  横 浜 大窪 和子

小さき文字に添へ書きされし去年の賀状み声聞こえてしばし手に置く
奈良県立大宇陀高校の校歌の詞書きしは五味保義と知る阿騎野をゆきて


  能 美 小田 利文

署名全て終へて吾が家は乳呑み児を抱く夫婦のものとなりたり
出羽ヶ嶽を嘆きて詠みし茂吉思ふ今日も寂しく引き揚ぐるせな


  東広島 米安 幸子

積み上げし土嚢の上を満員の列車速度を落して進む
日の出前トトントントン何鳥かスチール缶をノックし止まず


  島 田 八木 康子

お昼を悩む心がこんなに軽くなる不意に届きし柿の葉寿司に
ふつくらと小豆の煮ゆる香の満ちて湯気の向うに酒飲まぬ夫


  柏 今野 英山(アシスタント)

小金城の「虎口」のぼれば空広し本丸の跡陽のあたる中
城址に放射線量の記録あり見えぬものとの戦ひつづく



先人の歌


アララギも若かりしかな憲吉は燕岳よりこの会に来し
つひに稲をやめたる兄か雪なくて乏しき春の水を憂へず
足弱り歌衰ふるを多く見き文明先生といへどその中
榧の実の皮青々と高きより散らして山雀の宴たけなは
暑き夏過ぎて思へば山ふかく白き全けき滝二つ見し

 小谷稔歌集『黙坐』より。毎週末のように各地の歌会に出向き指導を続けられた先生だが、歌会のあとの雑談のなかで「歌会の指導にしても、アララギから受けた恩に対する、恩返しのつもりでやっている」といった内容のお話をされたことがある。その指導をもう受けられないのは本当に寂しい。


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