作品紹介

選者の歌
(平成31年5月号) < *印 新仮名遣い >


  東 京 吉村 睦人

典籍の閲覧ならねど二十年振りに静嘉堂文庫を今日訪ね来ぬ
「人生の並木路」を共に歌ひたる妹は今一人病みゐる


  東 京 雁部 貞夫

映画待つあと一時間なに読まむ「大御歌」なる特集読むか
沖縄の「分断」嘆きしその口にて「大御心」を謳歌するとは


  さいたま 倉林 美千子

二人加はり華やぐわが家突然の爆笑も湧く夜のテーブルに
久しぶりに老人二人見る庭に雪は降る紅梅の花を濡らして


  東 京 實藤 恒子

読み返すヒムロより出づふくよかなるやさしき文字は人柄そのもの
年金は一人に余ると交通費など自ら補ひまししと聞く


  四日市 大井 力

何のえにしに書き賜ひしか東大寺公照和上の「ようこそようこそ」
闇も光もうちに入れよと墨書して賜ひしものか「ようこそようこそ」


  別 府 佐藤 嘉一

稀に機嫌のよき時父は歌ひゐき「鉄道唱歌」の名古屋辺りまで
校長を早く辞めしは「君が代」を歌ふが下手なためと父言ひたりき


  小 山 星野 清

効率よく次々に遺伝子を組み替へて人の企てししゅが生まれゆく
人による管理にひそむ危ふさはかの原発の事故にも通ふ


運営委員の歌


  甲 府 青木 道枝 *

熱きカップ両のてのひらに包みこみ窓に見ている霜りし土
道枝という名を付けしわけ初めて聞く母の上着のほつれ縫いつつ


  札 幌 内田 弘 *

メルトダウンの原子炉は汚染水を太平洋に漏らし続けいるや
早く帰れと打つ鐘の音が響き来る美しく雪降る時計台の路地


  横 浜 大窪 和子

清めたるロッカールームに「ありがとう」の文字を残ししわがサッカー選手ら   アジアカップ
アラビア語日本語英語に感謝のことば書きしボードが世界に伝はる


  能 美 小田 利文

子はビデオ吾は買ひ置きし本を読む加賀の寒さにいまだ馴染めず
蔑まるるよりは憎まれむ六十年拙く生きて至りし境地


  東広島 米安 幸子

祖父夫の後輩となる十二歳「先は長し」とつぶやく夫は
丸く大き月に影して鶴わたる目のあたりにせし人に幸あれ


  島 田 八木 康子

旧交を温める会にただ一つルールあり孫の話はしない
誘はれるまま加はりし富士登山つひに先頭まで押し上げられき


  柏 今野 英山(アシスタント)

ビルの間にネガのごとくに残りたる表具屋畳屋この下町に
他を抜きて身を起こさむは世のならひ稲荷に並ぶ「たぬき」の社



先人の歌


眠られず夜半苦しめば寝たきりの日々の覚悟はわれには無理か
われのみの役なれば妻の背の赤きヘルペスに夜々薬を塗りぬ
すこやかに眠りに落ちし齢去り朝の目覚めも爽やかならず
朝々を血圧測り告げあひて穏やかな日々今のところは
薬剤の副作用にて喉渇きふるさとの天然水ひたすら恋し

 故小谷稔先生最後の年 2018年の『新アララギ』誌上より四首を、毎日新聞関西版「やまと歌壇」の選者詠より、最後の一首を転載いたします。


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