作品紹介

選者の歌
(令和元年11月号) < *印 新仮名遣い >


  東 京 吉村 睦人

徘徊してゐただけなのにスリッパで打ち殺されぬこのゴキブリは
安倍総理を庇つた褒美にまた一人財務省課長が駐英公使となりぬ


  東 京 雁部 貞夫

「吾を揺る友ひとりあれ」と願ひたる君は孤独をその友として
                          三宅奈緒子全歌集
「人生は徒労」と書きし君が父徒労にあらずこの四千首


  さいたま 倉林 美千子

日程も食も主張して九十三隠居には未だなりきれぬらし
再び静かになりしわがいへバルコンの広々として木漏れ日遊ぶ


  東 京 實藤 恒子

『百人一首』を読み解きをればわが窓に四十雀がしきりに鳴くも
君子蘭のわが一鉢に茎短き朱の花見ゆひしめきて見ゆ


  四日市 大井 力

むらさきになりて鈴鹿嶺西遠く横たはり眉月ひかり帯びたり 
誰も皆泣いて生るると訳もなく思へり頭上の天の川見て


  別 府 佐藤 嘉一

空襲のサイレン鳴らず終戦を実感せし八月十五日の夜
「ご飯が食べたい」と弟は突然泣き出しき三度の食事は藷ばかりにて


  小 山 星野 清

戦争を越えて来りし我等には納得のいかぬこの世の動き
損得を基準とせるトランプの言動に世界の秩序が瓦解してゆく


運営委員の歌


  甲 府 青木 道枝 *

ことばには写し得ざりし景のありピアノの音色この夜昂まる
聴衆のまばらなホールに弾くピアノいつしか己ひとりの世界


  札 幌 内田 弘 *

現実に合わない九条を変えるとぞ首相よわたしは反対します
ただ一つこの世に戦争放棄を訴えて日本国憲法が静かに歩む


  横 浜 大窪 和子

足を留めしばし奏でて人ら去るアムステルダムの駅ピアノ映す
数多なる銀河それぞれにあるといふブラックホールの遥けき現実うつつ


  能 美 小田 利文

テロリストが舌舐りしてゐるならむ都心貫く新飛行ルート
危ふさもあたらしさゆゑか国会に重度障碍者を送り込みしよ 山本太郎氏


  東広島 米安 幸子

庭石の間にひとつ百合の花われの心を静かならしむ 
緩びたる姿勢ただすべくこのわれに筆取りたまふ救ひてたまふ


  島 田 八木 康子

設定は二十五度といふ母君への供花と供物の為に仏間は
夜間飛行と見あげしは星浮雲の流るる早し台風去りて


  柏 今野 英山(アシスタント)

小さき国サンマリノの土産の哀しさよ戦争ごつこの銃と刀剣
岩山を刳りぬくカフェにとどまりて雨のやむまで飲むカプチーノ



先人の歌


草間 よしお  『シベリア抑留兵の歌』 より

本年七月に亡くなられました草間よしお氏の作品集より、数首を紹介いたします。草間氏は九十七歳の高齢でしたが最後までシベリアの歌を詠み続け、最終稿のなかの一首は「手押し車に洗濯物のせ帰りゆく妻が病室の吾に手を振る」でした。

シベリア抑留の短歌
零下四十度の夜も励みき一年を耐ふれば日本に帰る日来ると
シャツ脱ぎてパンと換へにきシベリアの夜に民家の扉たたきて
日本に帰らむとして収容所の土這ひずりき半ば狂ひて
シベリアの三年はおどろおどろにて帰国後年賀をくれし友なし
北満州の曾て兵たりし吾に戦友よと語り給ひし宮地先生

抑留画家 香月康男(山口県)
墨の色に五彩ありと言ひ六十万の虜囚の悲しみを捨象しゑがく
シベリアより持ちて帰りし有刺鉄線アトリエの壁にいまもかかぐる    
帰国前に死にし抑留兵が夢に見し「日本海」の絵のスカイブルー悲し


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