作品紹介

選者の歌
(令和2年3月号) < *印 新仮名遣い >


  東 京 雁部 貞夫

アララギの師弟相関図示されて「弟子などゐない」と怒りし文明 新年所感
私淑する一人を胸の奥に置け「秘するが花」と古人も言へり


  さいたま 倉林 美千子

国曳きの浜辺の夫に大昔の学生といふ人が傘をさしかく
もう一度行きたいと言ひし夫の心思へば寂し雨の出雲は


  東 京 實藤 恒子

桜楓会設立七十年のわが二十年短歌講座にひたすらなりき
月々に万葉集を読み歌会をせしこの二十年の成果を展示す


  四日市 大井 力

ふうはりと代替りしてゆくものか大垂髪おすべらかしの語など人に知らせて
千数百年変らざる黄櫨染くわうろぜんの色といふ京に継がるる専任のわざ


  別 府 佐藤 嘉一

命日のけふは早く起きて『ふゆくさ』の「巻末雑記」を姿勢正し読む
先生の亡きのち全集の刊行され書店に並ぶ夢幾たびか見き


  小 山 星野 清

巴波川うづまがはのほとりの家より持ち出され家具も畳もすでに臭へり
九十年生きし証は泥水浴びことごとく捨て身軽と言へり


運営委員の歌


  甲 府 青木 道枝 *

本当に来てくれたのか病室のベッドに涙拭いいたもう 吉村睦人先生二〇一五年
極むれば短歌一つにつながりてようやく今に母とわたし


  札 幌 内田 弘 *

数え切れぬ核弾頭が地下深く隠され守られ戦争を待つ
滅びゆく人間の優しさと残酷さ世紀を越えて未だ続きぬ


  横 浜 大窪 和子

濃く淹れし緑茶に気持をとり直し水漬きしものの片づけ続けき
壊れたる部屋はやうやく戻れどもつぎつぎ気付く戻らぬものに


  能 美 小田 利文

真実は単純にして強きもの教皇の長崎メッセージもまた
「一隅を照らす」といふ言葉胸に響く中村哲氏の口より聞けば


  東広島 米安 幸子

ほくほくの北あかりに振る雪塩はみんなみ宮古島のパウダーソルト
十七歳のカメラに納めし首里城が幾日も経ぬに焼け落ちたりき


  島 田 八木 康子

栗も蜜柑も君の賜物ぬれ縁に日差しを浴びて甘くなりゆく
「諦めは怒りを以て封じ込む」夜ふけて不意に蘇り来ぬ


  柏 今野 英山(アシスタント)

屋根裏の隠し階段通りぬけいづこ目指すかしばしば見る夢
古タイヤみなで組み立て遊具とすただそれだけで麦酒がうまい



先人の歌


 昨年9月に刊行された『三宅奈緒子全歌集』を遅まきながら手にし、少しずつ楽しみながら読んでいる。そこに収められた第一歌集『白き坂』(S37刊行、作者25歳から40歳までの作品510首を収録)より、特に心に残った数首を紹介したい。

もつとはげしく吾を揺る友ひとりあれ平凡な日ぐれを今日も帰るに
遠く来し髪白きエミール・ブルンナーわが傍らにゐ給ふたのし
トラックの上の吾らに紅葉散り遠く見けてゆく谿の水
入り来れば昼静かなる水族館いづこともなく黄の光満つ
何時よりか君にも心椅らずなり怠惰にながき日を勤め来ぬ
逢へばただ乱るるものを月白くたちくる空にむきて歩めり
パンの香り桃の香りとこもらせて雨降る夜の部屋にもの書く


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