作品紹介

選者の歌
(令和2年5月号) < *印 新仮名遣い >


  東 京 雁部 貞夫

若者ら繁く行き交ふ奈良の小路に黒米赤米刀豆なたまめの店
地図見れば夙川しゆくかは芦屋に岡本か関西歌人の巣窟ぞかし


  さいたま 倉林 美千子

大鼓おほかはれ出でし義経の亡霊は舞ふ足音もなく
現身を抜けて迷ふ程の力無し淡々生きしわが霊魂に


  東 京 實藤 恒子

サハラ砂漠の西瓜の原種もわが家の一員にして三十一年
直径八センチ程の西瓜の原種振れば乾きし種の音する


  四日市 大井 力

み葬りの終りて七日過ぎし日に吉村選者亡きを知りたり
地団駄を踏みて自説を主張せしかの委員会過ぎて懐かし


  別 府 佐藤 嘉一

答弁に詰まれば早口となる首相いくら見ても賢人のかけらだになし
東京にて働く孫に豊後梅の花咲き初めしを葉書に書きぬ


  小 山 星野 清

崩れたる本より見出で読み耽る友のエッセー集『オルフェウスの首』
ありし日の口吻よみがへるエッセー集世に問ひて三年の後に早亡し


  柏 今野 英山

密林にかはらぬ暮らしかつてありゴリラの親子のまなこはうつろ
滅びゆくものの曼荼羅その中に君の描きし宇宙船ノア


運営委員の歌


  横 浜 大窪 和子

「インマヌエル」を「天、共に在り」と著書にして一筋の道ひた歩みたり
「偲ぶ会」に集ひ来て入れぬ人ら多く夜の場外に立ちて悼むと


  能 美 小田 利文

コロナウイルス紛れをらずや怖れつつ人混みに吸ふ空気切なし
重症化リスクの高き妻を思ひ丁寧に洗ふ人に触れし手を


  生 駒 小松 昶

白々と木槿の花の咲く あした 母は一途なる生を終へたり
スマホ手に葬儀の段取り決めてゆく手術の合間合間をぬひて


  東広島 米安 幸子

しぶく雨にわが乗る列車間引かれて寒きホームに立ちつくしたり
眠りたらふ母子の会話と食欲にわれは安らぐ何ゆゑとなく


  東 京 清野 八枝

十七年前のSARSの甦るいまもわが持つかの日のマスクを
青く光る嘴のみ見えて夕暮れの神田川のぼる二羽のスズガモ


  島 田 八木 康子

閉ぢてゐるまぶたの裏を凝視するわが視神経眠れよ眠れ
病巣をマイナス百六十度に凍結する日帰り治療を告げ来し友も


  小 山 金野 久子(アシスタント)

背に温き冬の陽射しに何がなし亡き夫思ふその大き
先生のあした目覚めず逝きまししを知りて思へりかの日の夫を



先人の歌


 日本の名山を紹介するテレビ映像を見ていて、若かりし日に登った鈴鹿や那須の山道が浮かんできた。足腰が衰えた今はなかなか登山の機会もないが、山で詠まれた歌、山に関連して詠まれた歌を読むと、山の空気に触れた時の爽やかな気分が蘇ってくる。

ほととぎすわが目のまへを飛びて鳴くさ霧にくらむ花原はなはら のうへ                      斎藤 茂吉
川遠白く見下みおろす山に若き僧のこころ鋭くなればにけむ
                     吉田 正俊
雲間より洩れし光は果とほく町あるきはまで照らし出だせり
                     宮地 伸一
凍る道に杉の枯葉を撒きて登る幼くて父に習ひしごとく
                     小谷  稔


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