作品紹介

選者の歌
(令和2年6月号) < *印 新仮名遣い >


  東 京 雁部 貞夫

ウイルスに家居強ひられ三、四日庭の木蓮次々と咲く
紫木蓮いく度か切れど枝伸ばす花しどけなしさながら悪女


  さいたま 倉林 美千子

わが庭に隣家の影の際やかに落ちて事なく午後けてゆく
わが家の鳴らずのピアノの上にある古きランプの魔力も失せぬ


  東 京 實藤 恒子

夕べより煮込みしポトフーも仕上りて時後れたる花雛祭
ウイルスに籠りて読書三昧の人来まさむか耳澄まし待つ


  四日市 大井 力

何時なんどきの終焉もよしとうそぶきてゐしに戸惑ふ新肺炎ウイルスに
細菌戦といふが俄かにをよぎる外出自粛の布令ふれのあるいま


  別 府 佐藤 嘉一

「アララギ」を互ひに掲げて別府駅に初めて会ひて六十年か
諧謔をまじへて話し給ひしが君と会ひたる最後となりぬ


  小 山 星野 清

まだ体力あらむと決めて来月のオペラの切符予約をしたり
待ち待ちしオペラの切符も使ふなく言はるるままに家籠りゐる


  柏 今野 英山

若き日のオフィスは銀座八丁目夜の無聊が路地にたゆたふ
三原小路に金春小路ビルの間の銀座の夜に紛れしわれか


運営委員の歌


  横 浜 大窪 和子

コロナ感染に真つ赤に塗られし世界地図この三月をパンデミックと
走行中の電車の天井ややに開き五分間の換気とアナウンスあり


  能 美 小田 利文

「重い腰を上げる」の言葉さながらにマスク転売対策始まる
たびも手を洗ふ君の潔癖症スタンダードとなりて目立たず


  生 駒 小松 昶

母の遺す書の軸あまた辛うじて家に納めぬ箱に入るまま
青銅の書道教授者認定証母の机に鈍く光りぬ


  東広島 米安 幸子

向きむきにつの 立つ木蓮の枝ながら亡き人思ひ高く生けたり
朗々と切々と君の「飛騨めでた」一度聞きしを吾は忘れじ


  東 京 清野 八枝

沖縄と長崎めぐる修学旅行中止となりしを少女告げ来ぬ
教師らの精一杯のはなむけか卒業生のみの簡素なる式


  島 田 八木 康子

いつまでも覚えてゐるのは私だけ忘れていいんださういふことは
氷塊にも意思あるごとしかすかなる音立て不意に揺らぎ溶けゆく


  小 山 金野 久子(アシスタント)

二日かけやうやう飾りてひとり眺む七十年経しこの雛段を
三越にて求むと父の筆跡あり小さきひひなは戦後間なきもの



先人の歌


 全世界を危機に陥らせている新型コロナウイルス。まだまだ収まる気配がない。それでも自然界の営みは何事もないように花が咲き鳥が啼く一年で最も爽やかな季節を迎えている。先人が残したこの季節の歌を読んで清々しい気持ちになりました。  
                       (金野 久子)

とち太樹ふときいま吹きとほる五月さつきかぜ嫩葉わかばたふとくもろ向きにけり                 斎藤茂吉『あらたま』より
道の上にえごの白花散りしきて豆蒔き鳥まめまきどりは昨日よりなく
               土屋文明『ふゆくさ』より
よしきりは鳴きやみ雲雀のこゑひびく夕潮差せる川のほとりに
               宮地伸一『夏の落葉』より
みづみづとうつぎの花の触るるまで吾らのバスは山深くゆく
               三宅奈緒子『白き坂』より


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