作品紹介

選者の歌
(令和2年12月号) < *印 新仮名遣い >


  東 京 雁部 貞夫

「鰻好む歌よみ短命」は友の説俗説ならむ大串たのむ
このをみなの略歴見れど歳不明おのれさらさず何の歌よみ


  さいたま 倉林 美千子

遠き日の東遊びの父を思ひ篳篥ひちりきの音に聞き入りたりき
コロナウイルスに変りゆく世か豊かなる交はりにわが一生は過ぎき


  東 京 實藤 恒子

撮る花の輝く時を知り尽くし朝早く出掛けその時を待ちき
坑内の仕事を克明に描きたる山本作兵衛の絵を見せくれつ


  四日市 大井 力

治療途中の歯医者跡継ぎのなきゆゑに廃業すると葉書届きぬ
戻り来し財布の祝ひに鰻食ふ特盛りに茂吉大人を思ひて


  別 府 佐藤 嘉一

あぶら燃えて滾れるを母の食はせゐし鰯の塩焼き今も思ひ出づ
母の作りし茄子の糠漬けうまかりしを母逝きて四十年忘るることなし


  小 山 星野 清

昼のみを選びて通ふならはしの音楽会もなほ遠くなる
メトロポリタン歌劇場にてトスカ観しかの記憶さへ淡くなりたり


  柏 今野 英山

コロナ禍の不況をまさに被りたり明かりの灯らぬホテルならびて
高架橋見あげて野天の風呂に入る銀河鉄道通るを待つか


運営委員の歌


  横 浜 大窪 和子

正体不明の種子蒔けば何が生えてくる蒔くな捨つるな焼却すべし
ウエブサイトに今日も犇めく物語ふと取り込まれ過ぎてゆく午後


  能 美 小田 利文

離れ住む吾が身歯痒し高齢者施設に移りし叔母の動画に
葡萄の実溢れむばかりのタルト選ぶコロナ禍の夏オープンの店に


  生 駒 小松 昶

コロナに逝きし人に触るるを禁じられ遺族の悲しみ幾重にもつのる
口きかず咳もなさざる亡骸に触れてならぬか消毒するに


  東広島 米安 幸子

つきつめて詠へる君の『麦の庭』昭和十九年の歌を欠くなり
宇宙地図見つつし思ふ星なれば地球も軌道をそれる宿命


  東 京 清野 八枝

MRIの狭き筒内に指示響くコロナゆゑマスクは外さず耐へよと
水欲りて出で来し亀か昼の炎暑に耐へし甲羅に水そそぎやる


  島 田 八木 康子

振り向けば淡きピンクの紗を羽織る旧友が笑むこんなところに
忘れたる頃に「梅の実ひじき」煮る我はどこよりキッチンが好き


  小 山 金野 久子(アシスタント)

湯の宿に飽かず語らひ評したり新アララギ誌こたつに広げて
インボイス審査厳しく娘に送る国際宅配また詰め直す



先人の歌


新アララギ2013年1月号「一月集 T」より

草にすがる虫の草色いつまでかそのはかなさに夕べの光  
吹く風に光散らして揺れてゐる芒の穂波沈む太陽
乳牛も肉牛もゐる丘の上雪来る前の草のやさしさ
少しづつ黄葉ふえゆく栃の木の茂り茂りに風騒ぐ音
実にまぎれ咲くハマナスの花ふたつ余韻としつつ心にしまふ
半端なる甘さ広がるビスケット噛みくだきゐて何の寂しさ
                     笹原登喜雄

 笹原登喜雄氏は新アララギ編集委員として、また「北海道ア
ララギ」編集長として尽力された歌人。この歌が掲載された年
の3月18日に72歳という年齢で急逝された。昨年12月に
亡くなられた吉村睦人先生からの信頼も厚く、

札幌に君居るといふそれのみに心強く思ひゐたりしものを(新アララギ2013年8月号)
委員会に出席することは出来ざれど必ず率直なる意見を送りくれたり(同9月号)

といった追悼歌にも、笹原氏への思いが込められている。


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