作品紹介

選者の歌
(令和3年1月号) < *印 新仮名遣い >


  東 京 雁部 貞夫

近々と北の浅間は煙吐く裸百貫の貫禄見せて
よき言葉教えてくるる農の歌今日わが知るは「愚か生へ」にて


  さいたま 倉林 美千子

ふと気付く草むらに湧く虫の声昨夜きぞは確かに蝉を聞きしが
遅れ咲きし百日紅も寂れたり嵐名残りの風に吹かれて


  東 京 實藤 恒子

NHKの講座に共に選歌せしに声をかけざるままに逝かれぬ 岡井隆氏
その水や生命の起源を調ぶといふ或ひは人が住めるかも知れぬ


  四日市 大井 力

歌の友に貰ひし里芋盆に盛り月の出を待つあかりを消して
生涯にたつた一日の掛け替へのなき刻過ぐる空茜して


  別 府 佐藤 嘉一

朝七時のサイレン聞こえず眠りゐき聴力のかく衰へゐしか
眼の前の松に来て鳴く鴉の声はるか遠くより聞こゆるごとし


  小 山 星野 清

変化なき暮らしにあれば割り増し付き商品券さへ楽しみとなる
術中にはまりしと自嘲繰り返し直ぐには要らぬものをまた買ふ


  柏 今野 英山

宗教は信じてゐないと言ひし祖母聖名持ちたる祖父を厭ひき
死の床にワイン飲みたしと言ひし祖母酸いも甘いも異国の思ひ出


運営委員の歌


  横 浜 大窪 和子

前後左右隔たる座席に身を沈めひとりの世界に聞くモーツアルト
サントリーホールに溢れしモーツアルト消え遣らず朝の体温測る


  能 美 小田 利文

たびは失ひし良き音の世界吾に戻りく賜物の如く
街はコロナ公園には熊君を乗せて何処に行かうか移動支援は


  生 駒 小松 昶

五ヶ月の胎児の画像の瓜実顔鼻また口は息子そのまま
尚早ならむ自粛解除にツインデミック起こらばたちまち医療崩れむ


  東広島 米安 幸子

太公望の釣鉤のがれて二十年余海の「レジェンド」釣り上げられつ
内海に十キロ余りの真鯛なり推定年齢二十二、三とぞ


  東 京 清野 八枝

民主主義砕かれし香港よみがへる学問の自由を奪ふかわれらの日本
学問へのリスペクトなき政治家らアメリカにブラジルにコロナ蔓延す


  島 田 八木 康子

この夏の猛暑の故か水稲のウンカに枯れゆくここもあの田も
思ひ出は嘘をつくといふわが記憶鮮明なれど辻褄合はず


  小 山 金野 久子(アシスタント)

孤独死にあらずと知りて安堵せり独居をときに侘しみし友
人に会はぬ道はマスクを外しゆくコスモス揺るる今日の日和を



先人の歌


近年、世を隔てられた「新アララギ」の選者の冬の歌より。

をどるごと咲きて黄金に輝ける万作の花にわれは近づく
             吉村睦人 『夕暮れの運河』
寒の水をわれに浴びせし父のごと厳しき冬をひそかに待てり
             小谷 稔 『樫の木 第五集』
海を見ず幾年過ぎしか足なへのわが憧るる冬の海波
             佐々木忠郎 『続風紋』
白ワインに一人の年を送るなり亡き人の写真にカップ掲げて
             三宅奈緒子 『風知草』
雪降れば心は和ぐと言ひたりきそれより長く心寄せ来ぬ
             新津澄子 『疎林の風』
北極星まうへに近く輝きて永久(とは)なるものを嘆かざらめや
             宮地伸一 『町かげの沼』
時折に霧氷崩るる音しつつ患者なき実験なきこの山のなか
             添田博彬 『企救小詠』


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