歌集『門出』 小松三郎 出月雪子 著
序 歌 土屋文明
邦夫君墓畔
天にある幼み霊のあそぶらしあさ日かがやくほほの白花
五味 保義
花匂ふあけびの下にバット置く机ありき行きて少年の聲を聞きにき
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小松 三郎
隣室に眠れる吾が子の病重し夜半に目覚めてわれは悲しむ
己が子の病の因もその豫後も己れ知るゆゑわれは苦しも
われの診る他人はやすやす癒えゆくになど己が子の病は癒えぬ
心臓は日に日に左に肥大して傍観をするこの父あはれ
むらぎもの心怖れて庭掃けりわが子の命あるひは危し
新しき中学生の服を着て棺のなかの髭伸びし顔
病める子に見すべく造りし庭池に散りし桜の花すくひ上ぐ
横切る時邦夫は吾が手を握りしめき尾張町交差点にわが思ひ出づ
出月 雪子
臨終の汝が苦しみをいかにせむ汝がこの母は爲す術もなく
たまゆらに呼吸は絶えたり握りしむる汝が手やはらかにかくあたたかき
母われを呼びし汝が聲とことはに聞くすべなきかわれを呼ぶその聲
年毎に此の家櫻花咲かば嘆きはつきじただ一度汝が見き
末の子とあまやかしめていつくしみき亡き今はわが慰めとせむ
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小松三郎(本姓出月)は、大正十五年九月東京大学医学部在学中(二十六歳)アララギ入会。土屋文明に師事。「外科の出月」と内外に称される著名な国手。昭和四十二年(六十七歳)アララギ編集委員選者となる。五十七年(八十二歳)四月号にて病気のため選者を辞退。昭和六十二年十二月逝去(享年八十七歳)。「アララギ」一千号記念特集より抜粋
挽歌集『門出』 此の歌集の内容は、昭和二十七年四月十六日に十二歳で忽然としてこの世から去った次男邦夫を追慕する歌に終始している。病名は心臓内膜炎であった。死去の日から二十八年十月まで約一カ年半の小松三郎の歌三百三十四首と雪子夫人の歌四十首がおさめられている。 |