作品紹介

選者の歌
(令和3年4月号) 


  東 京 雁部 貞夫

君在りて信濃の古き峠越ゆ忘れがたきは野麦峠の工女らの墓 小松進氏を悲しむ
峠越え開田かいだの村に共に酌みき焼き干ししたる岩魚骨酒こつざけ


  さいたま 倉林 美千子

久々の暇に出でし冬の庭転がりてくる白き椿が
アララギの分裂が人と人を隔てその後倉皇と月日は過ぎぬ


  東 京 實藤 恒子

コロナ禍に観客の居ないウィーンフィル心より心に響く楽の音
惜しみなく拍手をしたり重厚に優雅に王道をゆくムーティに


  四日市 大井 力

気がつけばあいつが居ないと後になり言はるる終末もよしと思ひぬ
少年より青年に変る棋士ひとり所作うつくしくマスクを外す


  別 府 佐藤 嘉一

早く起き冷たき水にて顔洗ふコロナ如きに負けてはならぬ
跳び箱を跳べざりし吾が九十歳まで生きてゐるとは思ひみざりき


  小 山 星野 清

動かざるわれに見切りをつけたるか荒れたる庭に妻立ち向かふ
危ぶみし目も歯も癒えてコロナ禍に追はれし年も暮れとなりたり


  柏 今野 英山

野辺地より先は下北斗南藩風つよき浜を鉄路は通る
三歳の藩主住まひし円通寺いまに残るは山門のみなり


運営委員の歌


  横 浜 大窪 和子

何処にある国かと憂ふ内戦をいつとき小さく伝ふるメディア
感染を怖れ戸口にて帰る子に手渡す苞は三崎の刺身


  能 美 小田 利文

君の名札を欠席欄に移したりクラスターは終にグループホームにまで
飲み歌ひクラスター生みしがベッド占め「命の選別」が待つといふのか


  生 駒 小松 昶

帰省子の歯刷子フックに吊るすままコロナ荒ぶる一年の過ぐ
離島なる妹の農園手伝ふをいぶかり役場に通報するあり


  東広島 米安 幸子

老い深む妻君看取る君の歌亡き母重ね学ぶこと多し 『妻を看取りて』
老いにつつ心尽して看取ります君に歌あり師あり子らあり


  東 京 清野 八枝

塩分を吸ひ上ぐといふメヒルギの堅き葉噛めばかすかにからし 宮古島
椰子蟹が切り落とせるかパイナップルに似しアダンの実藪にころがる



  島 田 八木 康子

清書して初めて気付く誤字ひとつ思ひがけなき推敲案も
早く覚め解けしパズルに小さなる花丸つける習ひいつしか


  小 山 金野 久子(アシスタント)

冬の疎林ともに歩みしかの人をわれは想ひゐつ君の相聞の歌に
伊勢路よりアメリカよりの家族の声同時に響くビデオ通話に



先人の歌

 新アララギの初代代表だった宮地伸一先生の若かりし頃の歌をご紹介します。
こんなご時世ですので、ほっこりする歌を選んでみました。

 

 歌集『町かげの沼』より

・やうやくに青く芽ぶける山の道のぼり来りぬけふは二人して
・この海を幾たび見しか傍にけふはつつましく人居りにけり
・あたたかき磯の光に二人して白きタンポポを掘らむとぞする
・中学生の我ひとり住みし家見むと妻をみちびく石多き坂を
・やうやくに一生ひとよ定まる思ひにて妻のうつむく顔を見てゐし
・風邪引きて一日臥せれば身に沁みてありがたきかも妻といふもの
・幼なごも赤子もやうやく寝入りたり妻も昼寝せよしばらくの間
・あざのある小さき背中を拭ひをり平凡に父となりしさきはひ


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