作品紹介

選者の歌
(令和3年5月号) 


  東 京 雁部 貞夫

昭和初期よりセルロイド加工に励み来てプラスティック厭ひ父廃業す
キューピーの売り場に立ちし若き母前髪くるくる額を隠す


  さいたま 倉林 美千子

冬空の青きを区切る教会キルヒェの塔図らずも顕つ遠きわが街
ボン大学からラインの渡しへ下る道菩提樹並木リンデンアレーはなほ冬の色


  東 京 實藤 恒子

宅配便を待ちて選歌を始むるは常のことにてコロナに関はらず
欠席の主催者にわれもテレワークけふの歌会の歌評をしたり


  四日市 大井 力

鈴鹿嶺に真直ぐ続く道ありてこの街に終まで住まむと決めき
日々の足鍛ふる階段冬空に向ひて梯子を登る錯覚


  別 府 佐藤 嘉一

旧暦の今日は一月十五日明りを消して月かげを待つ
一月の十六夜の光は午前三時西の窓より吾が顔に差す


  小 山 星野 清

歌誌に名を見れば思ひ出づその稿の確かにて達者なる太きペンの字
日の温き大寒の庭に降り立ちて厚く積もれる落葉を攫ふ


  柏 今野 英山

吹きさらしのプレハブの前にひとり待つPCR検査は審判さばきのごとし
鼻の奥に検査の痛みはしりたり明と暗との分かるる刹那


運営委員の歌


  横 浜 大窪 和子

何気なく立ち居るわれの傍らを「なに怒ってる」と過ぎ行く息子
クイックステップをルンバを軽々踊り居つ深き眠りの中にひととき


  能 美 小田 利文 *

幼かりし吾が膝赤く染めてゐし赤チンもつひに製造終了
七十年の歴史閉づるか赤チンも「水俣条約」の規制対象


  生 駒 小松 昶

最前線にコロナと戦ふ医療者にかうべ垂れつつ無事祈るのみ
路地奥のお好み焼き屋のおばちゃんに一年会はず電話してみむ


  東広島 米安 幸子

「ピンポーン」と保冷ボックス届きたる二月十四日われも倖せ
八十やその坂越えたる君のよろこびにこの世の美味を送り下さる


  東 京 清野 八枝

意識なき二晩を経て生還せしと電話に告げ来ぬ山口の友は
三宅先生のもとへ行かむと思ひたる一瞬ありきと胸衝かれ聞く



  島 田 八木 康子

柚べし作りを諦める歌に思ひ立つ頂きし柚子がここにまだある
たはむれにマニキュア塗ればたちまちに息が苦しと言ふ爪の声


  小 山 金野 久子(アシスタント)

足指に強張り出でてわがリウマチ今朝の寒気を如実に示す
喘息です移りませんといふカード手に持つをみな待合室に



先人の歌

 長年このホームページにも関わり、ご指導を頂いた小谷稔先生の最後の歌集『大和くにはら』から、その末尾の置かれた連作をご紹介します。先生は2018年10月に亡くなられました。この掲示板での数々のコメントを記憶している方も多いのではないでしょうか。優れた歌人が人生の終に残された数首を、心してお読み頂きたいと思います。

 歌集『大和くにはら』から 「ふるさとの天然水」抜粋
                      小谷 稔

ダムに沈む丹生川上社の遷座まへ堀りし秋海棠のつつましく咲く
いちはやく韮の花咲く草むらに抜きいでて白くすがすがと咲く
喘ぎつつしのぎし暑さ忘れよと大根の双葉の列みづみづし
草の実の落つる前にて草を取るその気力体力いつまであらむ
皿のもの必ず残るわが夕餉かかる九十も予想せざりき
仕事無き時間は忙しき患者にて待ち待つ診察会計に薬
エレベーター使はず階を上り下り戻る体力をひそかに測る
入院の外出に帰れば本庶先生のノーベル賞の画像の迫る
薬剤の副作用にて喉渇きふるさとの天然水ひたすら恋し


バックナンバー