早世の歌人「相澤正」。その歌集末尾の年譜を見ていて、1921年に母親を流行性感冒のため無くしたと知った。まさに100年前のコロナ、今言うところのインフルエンザであろう。相澤正9才の冬である。
若きより文明に嘱望され、将来を期待されていたが中支那にて戦病死。(32才)。
歌集の解説に雁部先生は「新アララギ発行所の壁には、いま相澤正の葉書一通が掲げてある。」と記されている。
水際にしばしためらふ蟹の子のすきとほりつつ砂をわたる
大根の花野ゆきつつ思ひ出づ母と住みにしいとけなき日を
夜清き空にかかれる銀河低しあはれふるさとの盆もすぐらし
鮒の子があぎとふ壜の水更へぬ今日はしきりに救急車がゆく
日盛りの砂地はひゆく蟷螂の羽ふるひつつ飛びし時の間
蔭膳を据ゑて待つとふ父母よ真幸くしるく其の子吾在り
相澤正歌集 <短歌新聞社刊>
新アララギ9月号より 「先人の歌」欄を借りて一首ずつ掲載します。
父の齢二十三年生き伸びてさらに生きむとワクチンを打つ
雁部 貞夫
誰も誰もどこへ行くのか居なくなるある日の断片のみを残して
倉林美千子
ほととぎすの鳴き渡りゆく声聴けば短歌講座も二十年となりぬ
實藤 恒子
父母の亡くいよいよ他郷となる町かバスの中にも声のかからず
大井 力
木蓮子はイタビと土屋先生詠みしを知り今日も見に来し川辺のイタビを
佐藤 嘉一
脳の萎縮ここに見ゆれば物忘れあるはずと言ふ女医に親しめず
星野 清
黙黙と言はれたとほりに移動する情けなくもありたかが注射に
今野 英山
ミャンマーの国軍兵士よニッポンの物語知るや『ビルマの竪琴』
大窪 和子
吾が世代の接種日程見当たらぬ能美市広報六月号を閉づ
小田 利文
遺伝子の三十八億年継ぎてみどりごは笑む吾を見つめて
小松 昶
重ね重なる絵筆の熱きエネルギーにその一生思ふゴッホの「ひまわり」
清野 八枝
ほころぶを待ちて摘みゆく百合の蕊ひいやり柔く指を汚さず
八木 康子
止めたくも止められぬものかくありて強引に進む東京五輪か
金野 久子
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