作品紹介

選者の歌
(令和3年10月号) 


  東 京 雁部 貞夫

友二人亡くして最悪の旅なりと宮地氏詠みきカブール発吾が遭難の第一報を
空港の検量台にのり驚けり六十二キロありし体重十キロ減りて


  さいたま 倉林 美千子

「あなたが居てくれて」と言ひたる声の蘇る百合の香しるく入りくる窓辺
みずからの命知りての言葉かと一気に言ひしその声思ふ



  東 京 實藤 恒子

三人の蕎麦屋の夕餉追悼文は二人だけでいいあなたは書いてね
逝きましてはや十年か約束を果たしましたよ宮地先生


  四日市 大井 力

二回目のワクチン注射に熱兆し少し窪目となりて籠もりぬ
どちらかが残りてひとりとなるふたり梅雨の夕焼ゆやけに声をあげたり


  別 府 佐藤 嘉一

甲高きはロッキード濁りし爆音はグラマンと聞き分くるまで襲撃ありき
迫り来る米軍戦闘機の轟音に焼けトタン被りき先生と共に


  小 山 星野 清

マスクせぬ人らあふるる野球場中継は異次元の如くまぶしも
今週は万歩に届かぬわが歩み天気の所為とばかりは言へず


  柏 今野 英山

目の前に流されかけし友と酌む屋久島「三岳」わすれられぬ味
雨の日は二胡を弾きつつ日暮れまつ台湾に生れし友の哀しみ


  横 浜 大窪 和子

電磁波過敏症なる病が北欧にあるといふ気付かぬだけか日本人は
高速通信あまた家電に囲まれて暮らすわれらに忍び寄るもの


運営委員の歌


  能 美 小田 利文

離島への観光ツアーさながらに五輪選手団の入国は止まず
六十二歳を喜ぶべきか優先のワクチン接種券今日届きたり


  生 駒 小松 昶

「いつもえらいが今日は最悪」接種後の肺を病む老い酸素を拒む
接種後に全身痒くなりし人帰宅の後の急変あるな


  東 京 清野 八枝

緊張して歩み入るわれらを迎へたる大使のマスクはイタリア国旗
「ローマの休日」を言へばアメリカの映画にてわれらは見ずと大使にべもなく


  西東京 中村 真人

えやみ流行り外出自粛の続く日々心肺鍛へて坂道を行く
古本の全歌索引届きたり茂吉の歌を手もて浄書の


  島 田 八木 康子

気がつけば聞こえずなりぬお隣りのピアノの調べ褒めしばかりに
リニアを拒む知事故届かぬワクチンと県別接種率をささやける声


  小 山 金野 久子(アシスタント)

分からないことが面白いと混迷の世を去りゆきしか立花隆は
ベーブルースを八木山球場に見しと言ふ父の話が今に懐かし



先人の歌

 早世の歌人「相澤正」。その歌集末尾の年譜を見ていて、1921年に母親を流行性感冒のため無くしたと知った。まさに100年前のコロナ、今言うところのインフルエンザであろう。相澤正9才の冬である。
 若きより文明に嘱望され、将来を期待されていたが中支那にて戦病死。(32才)。
 歌集の解説に雁部先生は「新アララギ発行所の壁には、いま相澤正の葉書一通が掲げてある。」と記されている。

水際にしばしためらふ蟹の子のすきとほりつついさごをわたる
大根の花野ゆきつつ思ひ出づ母と住みにしいとけなき日を
夜清き空にかかれる銀河低しあはれふるさとの盆もすぐらし
鮒の子があぎとふ壜の水更へぬ今日はしきりに救急車がゆく
日盛りの砂地はひゆく蟷螂の羽ふるひつつ飛びし時の間
蔭膳を据ゑて待つとふ父母よ真幸くしるく其の子吾在り

             相澤正歌集  <短歌新聞社刊>

新アララギ9月号より  「先人の歌」欄を借りて一首ずつ掲載します。

父の齢二十三年生き伸びてさらに生きむとワクチンを打つ
                  雁部 貞夫

誰も誰もどこへ行くのか居なくなるある日の断片のみを残して
                  倉林美千子

ほととぎすの鳴き渡りゆく声聴けば短歌講座も二十年となりぬ
                  實藤 恒子

父母の亡くいよいよ他郷となる町かバスの中にも声のかからず
                  大井  力

木蓮子はイタビと土屋先生詠みしを知り今日も見に来し川辺のイタビを
                  佐藤 嘉一

脳の萎縮ここに見ゆれば物忘れあるはずと言ふ女医に親しめず
                  星野  清

黙黙と言はれたとほりに移動する情けなくもありたかが注射に
                  今野 英山

ミャンマーの国軍兵士よニッポンの物語知るや『ビルマの竪琴』
                  大窪 和子

吾が世代の接種日程見当たらぬ能美市広報六月号を閉づ
                  小田 利文

遺伝子の三十八億年継ぎてみどりごは笑む吾を見つめて
                  小松  昶

重ね重なる絵筆の熱きエネルギーにその一生思ふゴッホの「ひまわり」
                   清野 八枝

ほころぶを待ちて摘みゆく百合の蕊ひいやり柔く指を汚さず
                  八木 康子

止めたくも止められぬものかくありて強引に進む東京五輪か
                  金野 久子


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