作品紹介

選者の歌
(令和3年11月号) 


  東 京 雁部 貞夫

多摩の奥に兜造りの里ありき数馬笛吹うづしき久しく訪はず
あちこちに歌よみ移住の物語かつて原発いままたコロナ


  さいたま 倉林 美千子

時のなき国に入らむに今少しいとまのありて頬杖をつく
この次はデートしようと言ひて逝きし矢野伊和夫翁いづこにいます



  東 京 實藤 恒子

ちくりとせし二度目の接種終へ食料品を買ひ帰りゆくけふはバスにて
ピーマンを二つに割つたらげらげら笑つたこの絵手紙にわれもげらげら


  別 府 佐藤 嘉一

原爆を投下せし八時十三分のサイレンに正座して妻の黙祷したり
「広島は大変だとよ」帰宅せし吾を待ちかねて母は言ひたり


  四日市 大井 力

闖入のかなぶん命を失はず広島の日の宵のことにて
敗者ゐてくるるからこそ勝ち得しぞ必要以上の身振りなさるな


  小 山 星野 清

時かけて卓球の経過を見届けぬ中国に勝ちし美誠水谷の
拠出せしわがケイタイの金銀も輝きゐるか勝者の胸に


  柏 今野 英山

金メダルにうつつ忘れるそのうつつ東京の感染者はや五千人
アスリートのメダル掲げる度ごとに抑へしコメントせつなかりけり


  横 浜 大窪 和子

七十六年嗚呼また来たり日本の愚かなる歴史悼む八月
かの戦争の背後にありし国々の画策思惑今に解かるる


運営委員の歌


  能 美 小田 利文

束の間に終へし接種の証なる止血テープを肩に確かむ
副反応に備へつつ時の過ぐる待つコロナワクチンは正に劇薬


  生 駒 小松 昶

入院治療わが勧むるを拒みたり病みがちの母をひとりに置けぬと
選考委員なべてが満点授けたる稀有なる受賞者なりしよ君は


  東 京 清野 八枝

わが古き水着似合ひて飛沫しぶき上ぐる少女とひと日プールに遊ぶ
森深く小さき料亭に案内してわが誕生日を祝ふと夫は


  西東京 中村 眞人

香草の効きたるベトナム定食の店に民衆の壁画飾らる
いたはりの振舞ひ篤き奄美の子いづくかしかと遠き方見る


  島 田 八木 康子

稲妻のギザギザこの目にどうしても見たくて止められし幼き日あり
ああこれが賢治の呻きか「雨ニモマケズ」「サムサノナツハオロオロアルキ」  (線状降水帯)


  小 山 金野 久子(アシスタント)

新幹線車内に倒れし兄思ひつつ『命あること』君の歌集読む
感染者終に百万人越えたるも会ひたしとは伊勢より来たる



先人の歌

 野村弘子歌集  『令法の花』より

 長年、新アララギの発行業務に貢献され、全国歌会の運営にも力を尽くされた野村さんが本年4月に逝去された。90歳であった。その前年に上梓された掲出の歌集より数首を引く。

         価値観
無理せずに毎日歩めと言はるれば心残し来しミモザ見にゆく
今日一日事なく過ぎしとカレンダーに線を引きたり残る日数へて
価値観の変りゆく時代と身に沁みぬ亡き母もかく思ひ生きしか
水澄みて流るる野川をゆるやかに羽根美しき鴛鴦がゆく
芝生の上に戯れてゐる母と子にこの安らぎの続く世を願ふ
日々に聞く争ひ止まぬ世界情勢テレビは気楽に笑ひて写す
ひとつ戦終らぬうちにグルジアに戦興るか安易のエゴに
日々の暮し安きに馴れて沖をゆくイージス艦を見たる驚き
大義とは聖戦とは何いつの日も憂き目をみるは弱き者なるに
遠き世に絶えぬ憎しみの連鎖ありそれぞれの熱き神の存在

          一つ言葉
菓子の中の御神籤互ひに引きあひて楽しむなかの言葉に拘る
一つ言葉に拘り眠り浅き夜半遠き列車の過ぎゆく灯り
み吉野の桜恋ふとも再びは見ることなきか吾には遠し
姉と別れ一人来たりしみ吉野に西行住みゐし小さき庵
誰も来ぬこの静けさよ西行のこもりゐし庵に風渡りゆく

 野村弘子さんは結婚後、福岡で暮らされ、短歌の初心の指導はリゲルの添田博彬先生であった。夫君が早世され、東京に戻り、二人の子息を育て、のちにはお孫さんたちの養育にも当たられた。その間、アララギ、新アララギと弛みなく短歌を詠み続けられた方である。   


バックナンバー