作品紹介

選者の歌
(令和3年12月号) 


  東 京 雁部 貞夫

宰相のマスク姿もこれまでか右往左往のすゑの退陣
今年また靖国の門へ大臣おとど政教分離も何処吹く風か


  東 京 實藤 恒子

穏やかに音なき真昼コロナ禍に二人籠りゐるこよなきひとひ
日の差せばうすくれなゐの優しさや天蓋花の鉢のかたばみの花


  四日市 大井 力

雲去りて西に傾く日のもとに緋合歓ひと日の花を終へゆく
舗装路にほめきの立ちて驟雨にはかあめ過ぎたるのちのかすかなる靄


  小 山 星野 清

多摩川のほとりの畑にリュック負ひ父と買ひ出しに行きし遠き日
もぎ呉れし畑のトマトの生臭さ八十年経し今も思ふも


  柏 今野 英山

葡萄棚に白鼻心の赤き目がひかる夜の食客つひに現はる
さまざまな夜の生態系うかびくるネオンの街に住宅街に


  横 浜 大窪 和子

アフガン撤退のアメリカ軍を宜へどあまりに御粗末その去り際は
中村医師の棺担ぎて嘆きたるガニ大統領逃亡す国を見捨てて


運営委員の歌


  能 美 小田 利文

六十歳を過ぎて会ふとは思はざりき十五年前の如きパワハラに
猛暑日を働きてビール飲みたきに二度目のワクチン接種日明日は


  生 駒 小松 昶

ワクチンは胎児に影響ないのかと妊婦は迫る腹をなでつつ
怪しげな英語に予診する吾に日本語に答ふタイの学生


  東 京 清野 八枝

穏やかに心打つ歌は「野村さんね」とささやき合ひぬ東京歌会に
賜りし岩波文庫の『土屋文明歌集』大切に開く今は形見と


  西東京 中村 眞人

善光寺雲上殿に御霊あり父の暮らせる長野の夜景
彼岸花緑道のきはに群れて立ち媼屈みてカメラを構ふ


  島 田 八木 康子

エプロンの両ポケットに満杯のピーマンを摘む季がまた来ぬ
焼き捨つる他に術なし若き日の交換日記に動悸はげしく


  小 山 金野 久子(アシスタント)

宰相の退陣聞きて庭に出づ秋海棠に優しさ求めて
思はざるところに群れ咲く曼殊沙華わたしを見よと言ひゐるごとし



先人の歌

  落合京太郎は1955年から1991年まで「アララギ」の選者だった。1905年に生まれ、20歳でアララギに入会、翌年1月から出詠している。土屋文明に師事し、裁判官として司法に携わりながら作歌活動を続け、1991年4月に85歳で没した。
 小谷稔は「落合京太郎の孤高のリアリズム」のなかで、「客観と自在によるリアリズムの豊かな可能性を見る」と評し、「巨大な自然の迫力に満ちた歌」「男性的で意志的な歌」の例として、富士山を詠んだ1987年の作を挙げている。

・ 天に懸る山の骨見えて落下つづく自壊作用のとどろき聞こゆ

 雁部貞夫は「いま伝えたき歌—落合京太郎再読」のなかで「自在な詠法、大景観の切りとり方、自然の色彩の変化の把え方」に特徴を見ている。

・ この峡谷キャニオンにいま沈む月の太る頃海越えてあらむ我は日本に

 グランドキャニオンを詠んだこの歌を雁部は「時間と空間の変化を余すことなく一首のなかに包みこんだ作例」と称揚している。
 落合は生前に敢て歌集を出さなかった。遺族の手になる『落合京太郎歌集』には、1948年の作として「昭和19年1月16日 空路南行」と詞書のある一連がある。1942年8月、37歳の落合は東京民事地裁部長から陸軍司政官に転じ、馬来軍政監部司法科に勤務した。当初の任地はシンガポールだった。戦局の激化にともなってマレー半島を北上し、クアラ・カンサー、タイピン、イポーなどへと移動した。翌年、終戦の年の11月からはシンガポールの南、現在はインドネシア領であるレンパン島で抑留生活を送り、翌年5月に復員船で帰国している。

・ 透きとほり灼けし機関より火焔ほのほ噴く暗き暁を立たむ飛行機
・ 轟ける空のまほらに朝明けて光をつつむ雪やまひとつ
・ 雪ひかる国の高山をふりさけてあめなるや今編隊を組む
・ 機銃座をまだ装置せず空輸する十八年十二月製なり此の重爆機

 任地のマレーから業務出張として日本に帰国し、ふたたび任地に戻るために軍用機に搭乗しての詠である。薄明に離陸しようとするエンジンが赤く熱し、標高の高い冬山を背景に編隊を組んで飛行する。戦時中の軍用機による移動である。事故や戦闘によって生命にかかわることは珍しくない。

・ 屋久島は雪耀きて迫れどもほのぼのとたひらかに種子島見ゆ
・ 雲の中に暗くなりつつ肩越しに方向盤の蛍光燃ゆる
・ 着水すと思ふばかりに遥か下に誘導機見ゆる位置保ち飛ぶ
・ 屋久島を過ぎ幾時か雲の中雨の中をきて青し一ぐわつの島
・ 誘導機の赤き尾灯の明滅してほのぼの明けの空の上にあり
・ 陽を受けてわが右側を飛びてゆく窓に明るき中が見えつつ

 空中を航行する速度感、高高度で体験する壮大な三次元の感覚、そして軍用機内外の情景を正確に描写している。そして、一連では、この先、経由地や目的地の東南アジア世界が描かれていく。


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