〇茂吉の最上川観 (小谷 稔 著『アララギ歌人論』より抽出、( )は小松注)
最上川は茂吉の故郷近くを流れる大河であるが、歌に登場するのは蔵王山の24歳に比べると意外に遅く、46歳のときである。
最上川水嵩まされどしかすがにやまがはのごとおもほゆるかも 『ともしび』昭3
天雲の上より来るかたちにて最上川のみづあふれみなぎる 『白き山』(以下、同)
最上川に手を浸せれば魚の子が寄りくるかなや手に触るるまで
最上川逆白波のたつまでにふぶくゆふべとなりにけるかも
最上川は茂吉にとり生命をもった自然として茂吉の「いのち」に呼応し共鳴して、さかまく濁流であったり月明を湛えた神秘の静かさであったり緩急動静休むことがない。刻々瞬時も停滞することなく、変化してやまない無常相である。(四首めは)敗戦後の冬における茂吉の沈痛な悲傷を強調して説くむきもあるがこれも「無常相」の一である。流れと吹雪と相せめぐ自然が逆白波となって底知れぬ荒涼感を呈している。
なげかひを今夜はやめむ最上川の石といへども常ならなくに
最上川の流のうへに浮びゆけ行方なきわれのこころの貧困
動かぬ石と動きやまぬ流れとともに無常相と見て茂吉はかろうじて不安に耐えている。最上川は茂吉にとって戦後の悲傷と流離の身を慰藉するもの、病気の鬱屈、「追放」の不安を鎮めるもの、さらに活力をあたえるものであった。
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