作品紹介

選者の歌
(令和4年3月号) 


  東 京 雁部 貞夫

愚かなる所業と思へど洋モクをカートン買ひす明日は値上げか
盛り蕎麦か煙草にせむか迷ひつつ腹満たさむと暖簾をくぐる


  東 京 實藤 恒子

自動ドアに入り来し篠懸の枯葉二つ玄関ロビーに寄り添ふごとく
冒頭よりわが知るメロディー流れ来て思はず口遊む「魔弾の射手」序曲


  四日市 大井 力

蝕に欠け海に昇りてくる月を待ちをり十四階の望遠鏡に
海の果てに昇れる月を隠す靄今世最後と思ひて待つに


  小 山 星野 清

この夜もラジオに「枯葉」低く流れ近づく冬の訪れつたふ
店内を少しく歩み疲れたりああゴッホ展これでは無理か


  柏 今野 英山

籠りゐる小さき庭の空見れば青いアゲハが手まねきをする
ボーカルは心の震へと思ひたり夜のラジオにサッチモ流れて


  横 浜 大窪 和子

一つこと言ふか言はぬか迷ひつつ草毟りするあなた見てゐる
ナチスの罪償ふと難民を受け入れしメルケル首相今し去りゆく


  札 幌 阿知良 光治

海見むと妻と降りたる小樽駅二年ぶりなり風やはらかし
坂下り海に向かへばゆつくりとフェリーが港を出でてゆく見ゆ


運営委員の歌


  能 美 小田 利文

朝礼終へ畑に見かけし老一人昼どきは夫婦となりて耕す
老農夫既に去りゐて白鷺が餌漁りゐる宵の畑に


  生 駒 小松 昶

AI利用のサイボーグですと朗らかに分身 アバター操る麻痺の患者は
シベリアの凍土の溶けて増殖す緑に光る巨大ウイルス


  東 京 清野 八枝

シルエットとなりてビル群並みて立つ燃ゆるごとき夕べの茜
赤黒き球体のへりきらめきて皆既月食いま成らむとす


  島 田 八木 康子

越し来たる庭隅に見し土筆の子スギナもろとも抜きしは誰か
雨の音は今も心が安らげり父母のくつろぐ一日なりけり


  小 山 金野 久子(アシスタント)

冬の陽差し背に受くわれに北陸はらい鳴り響むと友電話に語る
わが好むぎんなんごはん炊きくれし姉偲びゐる今宵お逮夜



先人の歌

 今年は雪の多い寒い冬でした。梅の開花も少し遅かったようですが、さすがに二月末には陽射しも明るく春の気配になってまいりました。雪国の人々を悩ました豪雪の融ける日も間近です。
  今月は三宅奈緒子歌集『風知草』から先生のお歌をご紹介いたします。御夫君の樋口賢治氏(「アララギ」の編集委員として選歌に携われた)亡き後、三年を経ての三宅先生65歳の頃のお歌です。
 早春の景のなかに亡き人への作者の心象が静かに映し出されています。                 (金野久子)

    春の雪

地下教室出でくれば降る春の雪雪は亡き人を思はしめつつ
命せまる夫を看取り雪にこもりにき年々に心痛し二月は
けぶりつつ二月の雨の降り出でてひそけし花咲く前の梅林
白うめの咲き匂ふただひと木にて林の径に人かげは無く
梅のはなともに見にゆかむ年々に言ひて終りき人はやく亡く
肩鞄の重き提げて歩む後かげ一生ひとよ働きやすき日なかりき
確執といふならねども父と夫の中に煩ひきいまともに亡く
考への行き詰まるときふらふらと日あたるベッドにゆきてわが臥す
ストックの花は夫逝きしときの香りその花房の下に夜々寝る


バックナンバー