作品紹介

選者の歌
(令和4年5月号) 


  東 京 雁部 貞夫

スコッチを少しく飲んで長居するホテルのバーにひとりの夜は  小樽にて
蕎麦を待つ間の一合なつかしや増毛の「国稀」わが前にあり


  東 京 實藤 恒子

表情を変へざる指揮者八十歳かすかにほほえむさま愛くるし
ポルカの「夜遊び好き」は演奏者全員唱ひ口笛を吹く


  四日市 大井 力

まむし取りがいつの頃よりか来ずなりしふるさとの真中にコンビニひとつ
釈迦堂のあざの名消えて味気なし合併合理化の果てのふるさと


  小 山 星野 清

グリオーマ破壊するウィルス療法が確立されしと今朝のニュースに
発症が今ならば新しき療法に弟も逝くことのなかりし


  柏 今野 英山

比叡山見ゆる裏山に籠りゐて座禅くみしか大河内伝次郎は
名声とはなどと思ひつつ伝次郎残しし数寄屋に薄茶味はふ


  横 浜 大窪 和子

アラームの音色が夢に溶けこみてものがたり創る目覚めのまへに
鎌倉描くドラマ見ながら浮かびくるわれて砕けて裂けて散るかも


  札 幌 阿知良 光治

移り来て四十五年窓に見し変はらぬ野原は団地になるらし
息子らとキャッチボールせしこの原は団地と変はりブルの行き交ふ


運営委員の歌


  能 美 小田 利文 *

検査受けぬ職員に子を託す親の心を思ふ親なる吾は
鬼に化けし吾に付き合ひ子が投げし豆アテに飲む焼酎うまし


  生 駒 小松 昶

先生の賜ひし貝母わが庭に約束どほりこぞり芽吹きぬ  小谷稔先生
窓はるか南に暮れゆく金剛山「独り雲を吐く」と先生詠みき


  東 京 清野 八枝

思はざる友の訃報に立ち尽くす怜子ちゃんああ何が起こりし 吉原怜子さん急逝
なぜここにあなたの名がある「葬儀式場」と黒ぐろ書かれし大き看板


  島 田 八木 康子

三十分早くは来院しないでと歯科の受付これもコロナ禍
つくづくと穏やかな人でよかったと夫に呟く難一つ越えて


  小 山 金野 久子(アシスタント)

日曜の朝のニュースは津波告ぐトンガは何処か地図に探しぬ
わが地球うごめくマグマ地下にあり疫病マグマは地上を揺らす



先人の歌

 令和4年3月12日に上梓されたばかりの、福島県歌人、佐藤祐禎歌集をご紹介します。『再び還らず』は祐禎氏の第二歌集で、第一歌集は正に原発事故の予言の書とも言われた『青白き光』です。作者は平成25年に84歳で逝去されましたが、あとに残された多くの作品を、親しかった友人たちが本書に纏められました。この世に原発という危険物がある限り、読み続けたい歌集だと思います。

      佐藤祐禎 『青白き光』より

いつ爆ぜむ青白き光を深く秘め原子炉六基の白亜連なる
小火災など告げられず原発の事故にも怠惰になりゆく町か
原発に勤むる一人また逝きぬ病名こんども不明なるまま

      佐藤祐禎 『再び還らず』より

突然の揺れに思はず地に伏せば目前の舗装たちまちに裂く
わが門の路面突然の液状化辛うじて車の幅のみ残る
目の前に家屋押し合ひ流さるる様見るのみに立ちつくしたり
砂利満載のトラック見るみる傾くを早く降りろと運転手にさけぶ
たちまちに海が膨れて砂丘超えなだれ来るさま見てすぐに逃ぐ
流されて家なき地区の知りびとにかける言葉なし涕ぐむのみ

憤りも笑ひも忘れひっそりと蟄居してをり避難者われは
大震災のあとの余震の絶え間なしこの世の終はりかと思ふときあり
街路樹の銀杏は若き枝のべてしばしの涼を人にとらしむ
子規の書は文語なれども苦にならず昭和一桁生まれの身には
夜の床に浮かびし歌をおこたりて明けくれば一切空となりゐつ


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