『赤光の蔵王山』
(小谷 稔 著『アララギ歌人論』より引用、抽出。( )は小松注)
・雲の中の蔵王の山は今もかもけだもの住まず石赤き山
・死にしづむ火山のうへにわが母の乳汁の色のみづ見ゆるかな
・秋づけばはらみてあゆむけだものの酸のみづなれば舌触りかねつ
などの歌を著者は挙げ、「、、、『赤光』の時代の茂吉の蔵王をとらえる眼にはまぎれもない「近代」が息づいている。」と言う。ところが後年、茂吉の地方では蔵王と並んで「神の山」と崇められている「出羽三山」では
・わが父も母もなかりし頃よりぞ湯殿のやまに湯は湧きたまふ
・谷ぞこに湧きいづる湯に神いまし吾の一世も神のまにまに
などと詠む。著者は「(子供の頃に自分を三山に連れて行った)父親の素朴な信心を受け継いだ敬虔な情が茂吉本来のもので、、蔵王に対しても同じものがあったであろう。」とし、「、、東京生活で西欧的近代に触れて新たなる自我を形成しつつある茂吉には、過去の自分と一体化した、、、神の山「蔵王」は一度は葬られなければならなかった。」「幼年の時から茂吉の心に親しく住みついてきた蔵王は『赤光』のこの時期、一時的ではあっても全く一新して近代の光に輝いた。『赤光』の強烈な抒情がその後の歌集で鎮静化していくとともに蔵王もまた茂吉の生に従うであろう。」
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