作品紹介

選者の歌
(令和4年8月号) 


  東 京 雁部 貞夫

一碗の麺をすするにこだはるに殺戮続く麦の沃野は
クリミアのセヴァストポリの攻囲戦読みしを記憶す兄の書棚に


  東 京 實藤 恒子

八十歳定年の決まり二講座よく勤しみて八十七歳
ひとたびをこの溜池に翡翠見て二十二年か去り行かむとす


  四日市 大井 力

ヒトラーもプーチンも選挙に選ばれて国を率ゐし果ての横暴
こころ清きのみにて国は保てぬと又見せらるる核の鞄持つ者


  小 山 星野 清

大国が軍事力にて我を通す世界を見るか今世紀にも
独裁者が狂へば斯くのごとくなるウクライナ侵攻の結末を見む


  柏 今野 英山

戦ひの激しきさまを彩りて枝垂るる桜か伊豆の権現 
戦ひの神に平和を祈りたり神をたがへしと思ひてもなほ


  横 浜 大窪 和子

われらが企業支へし強き汝がすがた細りし今のその背に思ふ
掛かりこし電話に一瞬はつとするまさしく汝がこゑ声帯癒えて


  札 幌 阿知良 光治

石狩の川面より風の吹きあがる音の寂しと妻の寄りくる
水芭蕉の群落越えて鶯の声にしばらくふたり安らぐ


運営委員の歌


  能 美 小田 利文

箱出荷に強張りてゐし君の顔もほころぶよ枝垂れ桜のアーチに
人に会はぬ道に君らとマスク外す風に揺れゐる姫踊子草のまへ


  小 山 金野 久子

たをやかな着物姿の仕草見よと母の言ひしよ幼きわれに
底知れぬ闇を思ひて心萎ゆわが地球上に正義はあるや


  生 駒 小松 昶

利益偏重の犠牲となりし人々の冷たき海にまだ漂ふか
爆撃に潰えし部屋の白きピアノ少女はショパンを弾き終へ去りぬ


  東 京 清野 八枝

如何なる論理か荒唐無稽のでつちあげ暴虐非道はウクライナの所業とす
白りん弾かと怖れつつ見る焼夷弾の吹雪くごとくに降る製鉄所


  島 田 八木 康子

小谷先生ゆかりの冬青そよごを忘れじとデスクトップに赤き実を据う
親猫の咥へ来たりし子猫たちやがてわが夜具にもぐり眠りき



先人の歌

『赤光の蔵王山』
(小谷 稔 著『アララギ歌人論』より引用、抽出。( )は小松注)

・雲の中の蔵王の山は今もかもけだもの住まず石赤き山
・死にしづむ火山のうへにわが母の乳汁ちしるの色のみづ見ゆるかな
・秋づけばはらみてあゆむけだものの酸のみづなれば舌触りかねつ

などの歌を著者は挙げ、「、、、『赤光』の時代の茂吉の蔵王をとらえる眼にはまぎれもない「近代」が息づいている。」と言う。ところが後年、茂吉の地方では蔵王と並んで「神の山」と崇められている「出羽三山」では

・わが父も母もなかりし頃よりぞ湯殿のやまに湯は湧きたまふ
・谷ぞこに湧きいづる湯に神いまし吾の一世も神のまにまに

などと詠む。著者は「(子供の頃に自分を三山に連れて行った)父親の素朴な信心を受け継いだ敬虔な情が茂吉本来のもので、、蔵王に対しても同じものがあったであろう。」とし、「、、東京生活で西欧的近代に触れて新たなる自我を形成しつつある茂吉には、過去の自分と一体化した、、、神の山「蔵王」は一度は葬られなければならなかった。」「幼年の時から茂吉の心に親しく住みついてきた蔵王は『赤光』のこの時期、一時的ではあっても全く一新して近代の光に輝いた。『赤光』の強烈な抒情がその後の歌集で鎮静化していくとともに蔵王もまた茂吉の生に従うであろう。」


バックナンバー