作品紹介

選者の歌
(令和4年12月号) 


  東 京 雁部 貞夫

早稲田出て六十余年か口よよみ杖ひく老いとなりて集ひぬ
「池之端」に宿りし新婚第一夜友ら襲来「事」なくて過ぐ


  東 京 實藤 恒子

星祭の短冊を書き二人して吊してステーキハウスに向かふ
二親も兄弟もなくひとりぼつちかかる境涯もさばさばとして


  四日市 大井 力

紫雲英田げんげだに寝型を付けて共々にばつ受けし友の訃が届きたり
紫雲英田に空を仰ぎて交したる言葉何なりしなべてはおぼろ


  小 山 星野 清

久々に会ひて語れば自づから互の老いを披瀝し合ふか
話し込めばついつい話は深くなり秘すべきことも幾つか語る


  柏 今野 英山

揃ひたる服にて番号呼ばれゆくドックといふ名の品質検査
まだ使へるもうポンコツかわが身への通信簿わたされ一喜一憂


  横 浜 大窪 和子

カーテンの引かれしベッドにあたふたと医師ら入り来て顔強張らす
この病院にコロナ療養叶はずと移されたるは駅前のホテル


  札 幌 阿知良 光治

直筆の詩はそれぞれに優しくて金子みすゞの特別展に浸る
昭和初期の形見の着物の素朴さに悲しき性のみすゞが見ゆる


運営委員の歌


  能 美 小田 利文 *

夏雲を背に押し退けて白山が迎へくれたり今朝の通ひ路
九歳の指がパンドゥーラに紡ぎ出すウクライナ国歌に心は震ふ プロコ・アナスタシアさん


  生 駒 小松 昶

長崎に被爆し火傷に泣くの子兵は殴りぬ甘えるなよと
九十歳の被爆者は描く途に座り炭となりたる母と乳飲み子


  東 京 清野 八枝

わが忘れ得ぬ歌集『錦川』ひたむきに生徒に向き合ひし純なる魂  岡田公代歌集
錦川の錦帯橋がつひの旅なりき健やかなりしその夫と娘の


  島 田 八木 康子

地に低く羽黒蜻蛉はぐろとんぼがゆるく舞ふ幼き日よりの晩夏おそなつの友
稲光りが森のきのこを育てると秋には秋の心浮き立つ


  小 山 金野 久子(アシスタント)

確と残る育児記録の母子手帳汝に渡しき嫁ぎゆくとき
三人の子らそれぞれの母子手帳宝なりけり母なる我に


先人の歌

  新アララギの選者であった三宅奈緒子氏に『アララギ女性歌人十人』(平成二十三年刊)という著書がある。その中から順を追って十人の歌人を担当月に紹介して行きたいと思う。

   中原しづ子(明治の終りから大正にかけてアララギに出詠)
 中原しづ子は、島木赤彦が広丘村小学校の校長時代、新卒で赴任し、同じ下宿に寄寓し親しく指導を受けた。『馬鈴薯の花』から『切火』にかけての赤彦の秘めた恋愛感情の対象といわれ、後年、川井静子の名で『桔梗が原の赤彦』(昭和三十二年刊)を出し、当時の赤彦の姿を浮き彫りにした。

・故郷の秋はあまりに淋しけれ山のみどりのああ褪せてゆく
・女なればかまどの前につつましく涙拭ひて座り居にけり
・久々に母とゑめるよ長かりし流離の心ただ泣かまほし
・己がする息の音かも更けてゆく夜の音かもいよよ寂しき
・このごろのわが神経の鋭さよ嵐のそこにうづくまりゐる
・幾たびか思ひなほせど失せしものそつとわきつつ星流れたり
・とこしへに失せしものかも流れ星あはれ再びれ見えぬかや

   後の同人歌集『丹の花』より
・相向ふ火鉢の灰をかきならし別れ惜しみし二人なりけり
・あはれこのをののく胸に秘めて恋ふ誰に語らむわれならなくに
・君がのたまふ一言一言にうなだれて何を嘆かふはるかなる道
・あざやかに思ひ迷ふよ二筋のいづれの道に捨つる命ぞ


バックナンバー