作品紹介

選者の歌
(令和5年1月号) 


  東 京 雁部 貞夫

「函太郎」の酢めしはさすがに暖かし焼きし穴子が口にとろける
小池光のやさしき歌には毒もある当り前だよ文学だもの


  東 京 實藤 恒子

目白に通ひ来りし受講生スクールバスに乗り合はすも愉し
今は亡き小祝幸栄二月には汁粉を作り来てもてなしたりき


  四日市 大井 力

伊勢湾に赤く濁りし月出でぬこたびが最後の最後と待つに
一年に三センチ地球より遠ざかる月といふ海より出でて澄みゆく


  小 山 星野 清

穿刺して胸水検査せしものを家族と来ねばと多く語らず
結局は一人前とは見做されず医師の話はのらりくらりと


  柏 今野 英山

霞みたる遠き湖岸のその奥に筑波はそびゆ双耳ならべて
五人にて風にあらがひ帆をあげる伝統たもつは容易にあらず


  横 浜 大窪 和子

週一度ケアハウスに過ごす夫帰りきて見する表情探る
世界の秩序壊しし発端はかのトランプと今更にして思ふこの日々


  札 幌 阿知良 光治

コロナ禍に訪ねて行けぬ君の施設編集人なるに音沙汰のなし
積丹の磯にウニ採りし彼のときよ健在なりし笹原君も君も


運営委員の歌


  能 美 小田 利文

同僚は電話を終へて早退す濃厚接触者となりしを言ひて
帰れずに三年目となる故郷の鳳仙花の実は弾けたりしか


  生 駒 小松 昶

母の命を奪ひし褥瘡の塗り薬ひきだしの中に期限の切れぬ
侵攻に避難さなかの画帳にはぎよろ目に血走る妖怪溢る


  東 京 清野 八枝

しぐれかと一瞬たたずむ森の径にドングリ降り来ぬ木々の葉打ちて  江古田の森
白き病舎見下ろす丘に秋日さし娘の転院をわが決意せり


  島 田 八木 康子

「あぶら身も財産ですよ」は身に沁みぬ四十三キロになりてしまへば  岡崎資源氏の歌
時々は五目も少し乗せて炊く黒豆おこはまた小豆のお強


  小 山 金野 久子(アシスタント)

愛しみて引き抜かざりし露草の殖えに殖えたり秋のわが庭
敬老の祝ひを受けて面映ゆしつつがはあれど愉しく生きむ


先人の歌

  今月の掲示板へのコメントの中で落合京太郎の晩年の歌を紹介した。その歌の再掲を含め、私にとって忘れ難い、アララギ歌人の晩年の作品を取り上げてみたい。

   土屋文明 『青南後集以後』より
草の葉もさやぎを止めししばしの間すぎゆく時のこゑのきこゆる
しづかなる夜の空気に目をあけぬ長き短き人のあり方
忘れゆく思ひ出の中ある時は生き生きとしたる山の姿あり
うみの上を争ひさかまきゆきし白雲相馬ヶ岳を包まむとする

   吉田正俊 『過ぎゆく日々』より
病室より吾が見得る空は限りあれど数々の思ひ浮かびては消ゆ
わが体今しばらく薬の棄てどころと客観視得るまでになりぬ
四五分でいいから何も考へずに居りたしと願ふこの日頃われは
退院は近しと告げられ目に浮かぶ咲き靡きゐむ琉球月見草の花

   落合京太郎 『落合京太郎歌集』より
「電話かな」と つぶやく闇に「他所よそですよ」と寂しき声す影は見えなく
大正十四年十月新参の小僧にて平成三年一月二十三日 うつつ残れる放屁一発
生きてゐる意識はうはそらにして何かぶち当るくうを落ちゆく
寝釈迦となり糞は出るままにまかせ置く南無阿弥陀仏ナムアミダブツ

 詠まれている内容は「晩年」のものであるが、歌そのものは気迫に満ちており、「アララギ」誌上で読んで圧倒された当時の思いが、今も生き生きと蘇ってくる。


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