作品紹介

選者の歌
(令和5年3月号) 


  東 京 雁部 貞夫

北上の河口の沙より出でしもの踏み絵一枚心にささる
幾百の宗徒踏みしや「ぜすきりしと・・・・」と刻みて古りし赤銅あかがねの板


  東 京 實藤 恒子

司馬氏の心を感じたく映画の「峠最後のサムライ」三たび
長岡藩の河井継之助の人柄を演じ切りたり役所広司は


  四日市 大井 力

皆既蝕の赤銅色の月影が菜の花いろの光を戻す
冬の雨吸ひ込む罅が育てゐる田平子はやも蕾かかげぬ


  小 山 星野 清

足腰をわが病める間に政権は安直に敵基地攻撃能力目差す
有識者とは如何なる人か迷ふなく敵基地攻撃能力持てと提言す


  柏 今野 英山

産みてのち輸血が命をつなげたり支へし無数の見知らぬ人々
小さくとも赤子を大地と名づくなり生きとし生けるもの宿すごと


  横 浜 大窪 和子

目に見えて脚弱りたる夫の傍に介護長かりし父浮びくる
故知れず哀しみ住みし遠き日の部屋に掛けゐしドガの「踊り子」


  札 幌 阿知良 光治

葬儀終へ棺の母の皺深きひたひに触れて永遠の別れす
予定より早く呼ばれて母のみ骨その軽きみ骨を涙に拾ふ


運営委員の歌


  能 美 小田 利文

計画停電通知葉書に戸惑ひて冬の夜暗きウクライナ思ふ
夢に来て心の傷を癒しくれし二人の寝顔の殊更に愛し


  生 駒 小松 昶

大津皇子眠る漆黒の二上山ふたかみ鬱金うこんの空の暮れゆかむとす
二上山の麓にバッハを聴く時し信なき吾に神忍び寄る


  東 京 清野 八枝

ただ一人のプーチンの狂気がこの世界を一変させゆくこのおぞましさ
戦後われらが肝に銘じし「戦争放棄」の理念たちまち崩されゆくか


  広 島 水野 康幸

暮れはてし橋下の水おだやかに波を光らせ逆のぼりゆく
人生は試験場にて死は解答の提出なりと父の言ひにき


  島 田 八木 康子

思ひ切りパッションフルーツの剪定を済ませいよいよ北風の季
シュート決めるや走りひざまづき十字を切る選手の姿見るなくなりぬ


  小 山 金野 久子(アシスタント)

撤退の兆しなきまま死者増えて戦場にまた冬巡りきぬ
軍隊を持たぬ国といふコスタリカ親しみ湧けりサッカー戦に


先人の歌

 いま世界には悲惨なニュースが流れ、私たちの心もふさぎがちです。コロナで会えないまま亡くなった身近な方々もいらっしゃるかもしれません。今月は三宅奈緒子先生の「四季のうた」から「亡きのち」をご紹介いたします。
 先生はこの歌の前年に父上を亡くし、明けて三月には夫君(アララギ選者、樋口賢治氏)が、当時の癌は告知のできないまま、74歳で亡くなりました。一年間教職を休んでの看病も及びませんでした。深い悲しみのなかに詠まれたこの静かな清らかな一連をお読みいただけたらと思います。

「亡きのち」   (「四季のうた」より)
おもかげはみな胸痛しベッドに掛けうなじ垂れゐし或るときの夫
ガウン着て雪見てゐたる面影の去らずひと日を降りしきる雪
春にならばならばと待ちて木蓮の白くかがよふ朝にあはざりき
亡き夫とただ一度観しナイターのつめたき夜気をおもふ年経て
海見ゆるこの庭歩みし父は亡くほのぼのとけふを匂ふ臘梅
ただ黙す老いたる父とこの坂を下りきはるかに海の光りき
エリカの花咲き盛りにき父母ありき過ぎてはいまは遠き平安


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