作品紹介

選者の歌
(令和5年4月号) 


  東 京 雁部 貞夫

かね」にまみれし汚職摘発止む日なし情なきかな東京五輪
古書店のほこりまみれの硯石すずりいしよくよく洗へば澄泥硯か


  東 京 實藤 恒子

はやぶさの一等車に乗り長野まで選者の一人伝田幸子待つ
田井安曇起しし伊那谷短歌まつり初めより加はり十七回目


  四日市 大井 力

身に潜む病凌げと賜はりし百合根ほくほく口に溶けゆく
舗装路に追ひ越してゆく柿落葉十五の心に戻してくれぬ


  小 山 星野 清

命あやぶむ病幾つも越えしわれが妻の余命を医師に聞くとは
悪い夢見てゐたのよと取りなして明るく笑める夢のわが妻


  柏 今野 英山

一人抜け二人抜けして仲間との畑はつひに仕舞ひとなるか
終へること思ひもせずに溜りたる農園の資材廃材まさに終活


  横 浜 大窪 和子

うたた寝するあなたの前に一皿のパスタを分けて覚むるを促す
頂きし柚子を浮かべて湯に浸る小窓の青き空見上げつつ


  札 幌 阿知良 光治

母が居て父が餅搗く年の暮れ家に籠もれる湯気のなつかし
元旦は貧しかりしも着飾りてカルタ取りせし家族五人で


運営委員の歌


  能 美 小田 利文

降る雪に朧となりつつ舞ひ止まず柴山潟の小白鳥らは
数の子抜きの御節も旨し賜りし大江の山の佳き酒ありて


  生 駒 小松 昶

治療やめ緩和医療に移る君わが思ひしより平然として
転移して腫れ痛々しき君の肩に手を当てざりき医師なる吾は


  東 京 清野 八枝

つき立ての餅売る店も廃業のシャッター下りゐき師走の地蔵通り
成人式の振袖姿小笠原より由比の写メール今し届きぬ


  広 島 水野 康幸

本箱の隅より出で来し「アララギ」に土屋文明の歌あり藤原哲夫の歌あり
平凡に妻と在ることに感謝して新しき年を生きむとぞ思ふ


  島 田 八木 康子

大声も威圧めくもの言ひもせぬ夫ありて保たれ来し歳月か
暖かき一月半ば白鷺が鋤き起こされし田に舞ひ降りぬ


先人の歌

 藤原哲夫は北九州出身の耳鼻咽喉科の医師、昭和6年アララギ入会、斎藤茂吉の弟子。リゲル(九州アララギ)の中心として活躍。また「アララギ」の集T瀾に会員として戦後長く投稿した。
 歌集「山峡の街」の帯にある佐藤佐太郎の言葉をあげておきます。

 (藤原哲夫氏は茂吉門の俊秀として知られているが、このたび戦後十二年間の業績をまとめて、歌集「山峡の街」を世に問はれる。九州日田の山峡をながれる川と霧とは氏の歌境にある清韻であり、一字一句をゆるがせにしない作歌態度は氏の歌境にある密度である。私はこの一巻にみちみちて居る密度と清純とを讃美し、不断精進のあとに敬礼する。)

 歌集は6冊あるが、「冬雷」より戦時の歌と「山峡の街」より戦後の日田での生活の歌を紹介します。

(1)歌集「冬雷」より
照空燈の交叉に入りし飛行機が微塵の如く光るたまゆら
海の霧ふかき中より砲の音す杭州湾のあかとき暗く
へだて霞むは支那の大陸か砲隊鏡よりわれは見むとす
らむ支那大陸の遥かにし兵火のほむら赤く燃え立つ
冬の夜の月のひかりは雲間くもまより吾が行進の軍をぞ照らす
かたはらにしたる兵の鐵かぶとれし銃弾が土けむりあぐ
集中する砲弾の中をわが走り毛布鋭くつらぬかれたる
あはれあはれ吾が肋骨に留まりて落ちたる弾丸たまの手に熱かりし

(2)歌集「山峡の街」より
木の間よりわれは見たりき降る雨の中くだりゆく流木りうぼくのさま
自転車に乗りつつ走る舗道にて睫毛にむすぶ白き霧あり
あかつきの暗きに雨のふる音す撒きし畑の灰も濡るるらむ
ふとき音きこえて杉の丸太落つ日あたる水に飛沫しぶきをあげて
貨車のろく狭間を入りてゆく音のさびしき夜にひとり起きゐつ
ひかりなきよるかはらよ鳴瀬なすあたりか一つ河鹿のこゑす
このよるの月の明きにくだりゆくふとき丸太の流木りうぼく一つ
窓そとの樹々おぼろにてかぎりなき空間くうかんを朝の吹雪は飛べり
機関車のほのほは紅く夜の雪に燃えつつ無蓋車のうへも吹雪す
しづかなる午前三時の月明に空地の雪が冴えわたりつつ
白煙しろけむりあげて狭間をくだり来し汽車の車輪のはやき踏切
寒さやや過ぎしとこよひ手を洗ふ水盤のなか薄氷うすらひの鳴る
くらき夜の星吹く如き風ありて吾がをさな子を高く抱きあぐ


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