藤原哲夫は北九州出身の耳鼻咽喉科の医師、昭和6年アララギ入会、斎藤茂吉の弟子。リゲル(九州アララギ)の中心として活躍。また「アララギ」の集T瀾に会員として戦後長く投稿した。
歌集「山峡の街」の帯にある佐藤佐太郎の言葉をあげておきます。
(藤原哲夫氏は茂吉門の俊秀として知られているが、このたび戦後十二年間の業績をまとめて、歌集「山峡の街」を世に問はれる。九州日田の山峡をながれる川と霧とは氏の歌境にある清韻であり、一字一句をゆるがせにしない作歌態度は氏の歌境にある密度である。私はこの一巻にみちみちて居る密度と清純とを讃美し、不断精進のあとに敬礼する。)
歌集は6冊あるが、「冬雷」より戦時の歌と「山峡の街」より戦後の日田での生活の歌を紹介します。
(1)歌集「冬雷」より
照空燈の交叉に入りし飛行機が微塵の如く光るたまゆら
海の霧ふかき中より砲の音す杭州湾のあかとき暗く
海距て霞むは支那の大陸か砲隊鏡よりわれは見むとす
夕暗らむ支那大陸の遥かにし兵火のほむら赤く燃え立つ
冬の夜の月のひかりは雲間より吾が行進の軍をぞ照らす
かたはらに伏したる兵の鐵かぶと外れし銃弾が土けむりあぐ
集中する砲弾の中をわが走り毛布鋭く貫かれたる
あはれあはれ吾が肋骨に留まりて落ちたる弾丸の手に熱かりし
(2)歌集「山峡の街」より
木の間よりわれは見たりき降る雨の中くだりゆく流木のさま
自転車に乗りつつ走る舗道にて睫毛にむすぶ白き霧あり
あかつきの暗きに雨のふる音す撒きし畑の灰も濡るるらむ
ふとき音きこえて杉の丸太落つ日あたる水に飛沫をあげて
貨車のろく狭間を入りてゆく音のさびしき夜にひとり起きゐつ
ひかりなき夜の磧よ鳴瀬なすあたりか一つ河鹿のこゑす
この夜の月の明きにくだりゆくふとき丸太の流木一つ
窓そとの樹々おぼろにてかぎりなき空間を朝の吹雪は飛べり
機関車の焔は紅く夜の雪に燃えつつ無蓋車のうへも吹雪す
しづかなる午前三時の月明に空地の雪が冴えわたりつつ
白煙あげて狭間をくだり来し汽車の車輪の迅き踏切
寒さやや過ぎしとこよひ手を洗ふ水盤のなか薄氷の鳴る
くらき夜の星吹く如き風ありて吾がをさな子を高く抱きあぐ
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