アララギ全国歌会が東京の清澄庭園で開かれた。百三十年ほど前、今の錦糸町駅前に牛飼業を営んでいた伊藤左千夫に会いたくて、歌会前日に普門院の墓参りをし、駅前ホテルに泊まった。小・中学校の四、五年間、駅と清澄庭園との中間に暮らしていた私は懐かしさに、歌会当日はホテルから寄り道をしながら歩いて会場に出向いた。小学校は健在だったが、私の家は跡形もなく何かの社屋になり、友の家のインターホンには反応がなかった。今回は、子規の写生を受け継いだ左千夫の歌を味わってください。(M33は明治33年発表の意)
牛飼が歌咏む時に世の中のあらたしき歌大いに起る (M33)
池水は濁りににごり藤浪の影もうつらず雨ふりしきる (M34)
米洗ふ白きにごりは咲きたれし秋海棠の下流れ過ぐ (M37)
竪川に牛飼ふ家や楓萌え木蓮花咲き児牛遊べり (M40)
九十九里の磯のたひらはあめ地の四方の寄合に雲たむろせり (M40)
風さやぐ槐の空を打仰ぎ限りなき星の齢をぞおもふ (M41)
ゆく雲の雲間の星のまたたきをまたず消えゆく現身の世や (M41)
吾妹子が嘆き明かして腫面に俯伏し居れば生けりともなし(M41)
人の住む国辺を出でて白波が大地両分けしはてに来にけり (注、九十九里)(M42)
雨雲の覆へる下の陸広ろら海広ろらなる涯に立つ吾れは
高山も低山もなき地の果ては見る目の前に天し垂れたり
幼げに声あどけなき鶯をうらなつかしみおりたちて聞く
信濃には八十の高山ありと云へど女の神山の蓼科我れは
淋しさの極みに堪て天地に寄する命をつくづくと思ふ
数へ年の三つにありしを飯の席身を片よせて姉にゆずりき (注、娘が池で水死)
禍の池はうづめて無しと云へど浮き藻のみだれ目を去らずあり(注、一周忌)(M43)
闇ながら夜はふけにつつ水の上にたすけ呼ぶこゑ牛叫ぶこゑ (注、水害)
おく山に未だ残れる一むらの梓の紅葉雲に匂へり
独居のものこほしきに寒きくもり低く垂れ来て我家つつめり (M44)
かぎりなく哀しきこころ黙し居て息たぎつかもゆるる黒髪 (M45・T1)
おりたちて今朝の寒さを驚きぬ露しとしとと柿の落葉深く 今朝のあさの露ひやびやと秋草や総べて幽けき寂滅の光
おとろへし蠅の一つが力なく障子に這ひて日は静なり (T2)
いとけなき児等の睦びや自が父のまずしきも知らず声楽しかり
世にあらん生きのたづきのひまをもとめ雨の青葉に一と日こもれり
|