このたび、故小谷 稔先生の末弟、ドイツ文学者の小谷裕幸さんが『ある限界集落の記録、、、昭和二十年代の奥山に生きて』(冨山房インターナショナル)を出版された。かねてより、先生のお話また歌や文章で、生まれ育った故郷が消えてゆく悲しみを認識していたが、この本で、そのご一家を中心にした地域の実情がより詳しく分かり、歌への理解もより深くなった。同時に、そのごきょうだいの殆どが文学に深く関わられてい、個人的にも書物を出版、また合同でも『はらから六人集』(正、続)を出されている。そしてその大きな要因として、学校や社会からよりも、ご両親とごきょうだいからの薫陶を強く感じた。そこで今回は先生の最終歌集『大和くにはら』からふるさとのご家族に関わるものを挙げてみたい。
父母の知らぬ悲しみ稲やめし故里は初めて注連縄を買ふ
奈良のわが家を見に来し農の母まづ言ひき庭に柿を植ゑよと
動員中の学徒のわれにトマトなど下げ来し父よ遠き汽車にて
寒の水われに浴びせし父のごと厳しき冬をひそかに待てり
はらからの六人揃ひよく語りよく箸うごくふるさとの夜を
父母のみ霊兄のみ霊のひそやかに集ふか今宵ふるさとの盆
塩鰯に馴れたる母は早苗田に捕りしウナギを口にせざりき
学寮のわれに代はりて農を助けし弟は早く歯の衰へぬ
明治期に小学校卒へしわが父の文字を尊ぶ写真の墓碑に
学寮より帰るわがため母は誰にも採らしめざりき桃もトマトも
父を兄を兵に送りて農を支へし弟の義歯もわが負ひ目とす |