今回は「新アララギ」の初代の代表であった宮地伸一先生(1920―2011)の『宮地伸一全歌集』から昭和22年の「水害十二首」をご紹介いたします。
セレベス島で終戦を迎え、原爆や空襲で壊滅状態となった日本に帰還した宮地先生が、27歳で葛飾区の中学校の教師となった昭和22年の水害を詠んだ作品です。
今でも国内外で台風やハリケーンの大雨による洪水の甚大な被害が報じられていますが、戦後の東京の下町は、梅雨や台風の大雨により、毎年のように荒川、江戸川などが氾濫していました。強力な治水対策の進んだ現在でも、これらの江東五区では河川氾濫時の浸水の危険が警告されています。
テレビも電話も縁のなかった下町の洪水のさまが写実的に描かれ、被災の渦中にあった作者の眼差しのなかに人間的な温もりの感じられる忘れがたい一連です。
「水害十二首」昭和22年
ささやかに歩道のうへを流れそめし水を掬ひつ楽しきがごと
床のうへ越えたる水にわづかなる書物を天井裏に置きかふ
筏よりあがり来りて夜おそくクレゾール水に足をひたしつ
海水が逆流せむといふうはさ暗き窓より窓へ伝ふる
朝よりオルガン鳴らす音きこゆ水に沈みしある家の二階
電線をたぐりつつ行く手もとよりばった飛び立つ筏へ水へ
入口のクレゾールに足を並べひたすワイル氏病をいましめ合ひて
二階より出入りをする幾日か土を踏まざる足たゆくして
蒲団敷きて屋根に暮らせる幾家族夕べ乏しき煙を上ぐる
半ばあまり沈みし我が家を見さくるが日課の如し心呆けつつ
水の上は夜となりつつ家燃ゆる炎しづけし立石町か
汚れたる身を横たへて食乏しき明暮れただに減水を待つ |