作品紹介

選者の歌
(令和5年11月号) 


  東 京 雁部 貞夫

いざ行かむ雫石なる山の湯へ如何なる鮎が吾を待ちゐむ
熱き湯を出でて麦酒ビールの冷たさよ黄金こがねの色の鮎食はむとす


  東 京 實藤 恒子

われはわれ余所見はするな思ふまま歌魂を炸裂させよ
浅き海に生ふる甘藻と厚岸あっけしくさう即ちヤチサンゴ退色続く


  四日市 大井 力

歌の繋がりすべてを絶ちてコロナ後のからだ保つを許したまへよ
足がもつれ転びしままに仰ぎゐる浅葱に移る朝焼けの空


  柏 今野 英山

佃島月島いまだ路地のこり花鉢あまた超高層の蔭
「昼顔」は昼に娼婦の顔をもつカトリーヌ・ドヌーブ恋しきろかも


  横 浜 大窪 和子

スペインの巡礼道ひとりゆきし汝帆立貝のみちしるべ辿りて
脈々と伝はる人間の思惟とはなに歩みつつ何を思ひし汝か


  札 幌 阿知良 光治

花愛でし父母へ供ふる花選ぶ妻の両手に増えてゆく花
妻の弟妹の家族も揃ひ墓参り幼子も居て今日の賑はい


運営委員の歌


  能 美 小田 利文

一昨日も熊過りしといふ送迎路夏山を仰ぎ心励ます
新湊に揚がりしならむ喉黒の塩焼きうましその皮までも


  生 駒 小松 昶

母一人娘ひとりの家ぬちに病に耐へて直向きなりき(悼中里純子さん)
カンパネルラに紫の上に会ひましたか現実主義の吾を残して


  東 京 清野 八枝

ホームページに長く詠み来しハワイの友この夏逝きしを知りて悲しむ
雄大なハワイの夕景に重ねたる望郷の歌に心打たれき


  広 島 水野 康幸

東京の韓国語書店に買ひて来し五冊の小説ずつしり重し
目を開けてと言へば母は目をあけぬ死の三日前のこと思ひ出づ


  島 田 八木 康子

「売らないと誓へばサインしませう」と思ひもかけぬ言葉浴びにき
懐かしき調べのやうに身に沁みる早苗田わたる夕べの風は


先人の歌

三宅奈緒子著 『アララギ女性歌人十人』より

 今井 邦子 (1890年〜1948年)

《略歴》徳島市生まれ。諏訪の祖父母のもとで成長する。1908年「女子文壇」に詩を投稿する。家出を決行し上京、中央新聞の記者となる。同僚であった今井健彦(後の衆議院議員)と結婚。1916年「アララギ」入会。島木赤彦に師事。

初期の短歌
 さまざまの思ひなしつつ暗き夜に淋しかまどの火をたけり我
 ああ母ともの言はぬ日の淋しさは五日つづきぬ暗き我家よ
 そむくなりさはさりながらそむきゆく行手は更に暗し淋しし
 此如きさわぐ女と思はるる淋しさおぼえさわぎつくしぬ
 此人は才人なりと人々はうす笑ひして遠まきに立つ
 偽りはおもしろき事此命つづくかぎりのたはむれとせん
 強き人などのたまひそ家をただ恨みて捨てし愚かものなり
 日比谷公園落葉をふみて日をあびて歩む一人の女の悲しみ
 狂ひ獅子牡丹林をゆきつくしおとなしう人にとられてゆきぬ
     (「女性文壇」に「迷走」として発表されたもの)

 *明治から大正時代にかけて先進的な考えを持つ女性が如何に生きづらい世の中だったがありありと読み取れる作品群である。

中年から晩年にかけての短歌
 夜に更けの風呂にひたりて母と娘が思ひはつきず言ふこともなし
 この日頃言葉すくなき子にとへば心にふりて物を言ふなり
 青年の四肢たくましくふるはせて己れ嘆かふ吾が子を見たり
 大方の男の子を生める母等つどひ手とり言ひたきこの心かも 
             (第五歌集『明日香路』より)
 この夫を己好める型にあれとあせり嘆きし日はすぎにけり
 むだ話背子とと日向に笑ひゐてすぎし己のこころもなし
 冬の空高く晴れたり吾背子と今日を語りて安きが如し
             (『今井邦子拾遺歌集』より)

 *晩年の家族との心通う歌に穏やかな暮しが見えてほっとする。


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