三宅奈緒子著 『アララギ女性歌人十人』より
今井 邦子 (1890年〜1948年)
《略歴》徳島市生まれ。諏訪の祖父母のもとで成長する。1908年「女子文壇」に詩を投稿する。家出を決行し上京、中央新聞の記者となる。同僚であった今井健彦(後の衆議院議員)と結婚。1916年「アララギ」入会。島木赤彦に師事。
初期の短歌
さまざまの思ひなしつつ暗き夜に淋しかまどの火をたけり我
ああ母ともの言はぬ日の淋しさは五日つづきぬ暗き我家よ
そむくなりさはさりながらそむきゆく行手は更に暗し淋しし
此如きさわぐ女と思はるる淋しさおぼえさわぎつくしぬ
此人は才人なりと人々はうす笑ひして遠まきに立つ
偽りはおもしろき事此命つづくかぎりのたはむれとせん
強き人などのたまひそ家をただ恨みて捨てし愚かものなり
日比谷公園落葉をふみて日をあびて歩む一人の女の悲しみ
狂ひ獅子牡丹林をゆきつくしおとなしう人にとられてゆきぬ
(「女性文壇」に「迷走」として発表されたもの)
*明治から大正時代にかけて先進的な考えを持つ女性が如何に生きづらい世の中だったがありありと読み取れる作品群である。
中年から晩年にかけての短歌
夜に更けの風呂にひたりて母と娘が思ひはつきず言ふこともなし
この日頃言葉すくなき子にとへば心にふりて物を言ふなり
青年の四肢たくましくふるはせて己れ嘆かふ吾が子を見たり
大方の男の子を生める母等つどひ手とり言ひたきこの心かも
(第五歌集『明日香路』より)
この夫を己好める型にあれとあせり嘆きし日はすぎにけり
むだ話背子とと日向に笑ひゐてすぎし己の鋭心もなし
冬の空高く晴れたり吾背子と今日を語りて安きが如し
(『今井邦子拾遺歌集』より)
*晩年の家族との心通う歌に穏やかな暮しが見えてほっとする。
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