作品紹介

選者の歌
(令和5年12月号) 


  東 京 雁部 貞夫

帆立貝マカ不思議なる海の幸生まれし時はなべて雄とぞ
二年目に帆立の半数雌となる命は神秘解きがたきもの


  東 京 實藤 恒子

選歌会も十八回目疋田和男高島静子大島史洋退く
否応なく己が高齢を意識すれど一途に歌を作りてゆかむ


  四日市 大井 力

何もかも投げ出して楽になる筈が思はざる闇が待ちてをりたり
考への行き詰まるときいつも浮かぶ宇宙の果ての暗黒の渦


  小山 星野 清

東京にトスカ見て秋のメトロポリタンに見比べし勢ひも今は遥けし
食物の産地確かめ食ふ宵のマルタの海のまぐろの刺身


  柏 今野 英山

シンガポール河畔の桟敷切れ目なしひと日終ればみな解きはなたれて
祝祭の都市を歩めばあまたもの神がまします争ひもせず


  横 浜 大窪 和子

巨大なる災害の突如起こるとき炙り出さるる国の暗部は
真夜中にノックする夫は夫なりにきみを心配してゐるといふ


  札 幌 阿知良 光治

異常なる暑さに我が家のキャンベルも熟して庭に香りを放つ
熱出でて伏す妻の背の細りしを見下ろしてをりつみ人のごと


運営委員の歌


  能 美 小田 利文

水を撒き君は見つけぬ葉の陰に膨らみ初めし枝豆の莢を
階段の踊り場に立ち妻と仰ぐ河川敷より上がる花火を


  生 駒 小松 昶

せり出して空を区切れる岩塊を上目に睨み急ぎ過りぬ
音のなく暮れゆく空に余光満ち白山山頂あかね極まる


  東 京 清野 八枝

夫は逝き子の骨さがす広島の無惨を詠みてわが胸を刺す
核のボタン押さば世界の終末と『火の鳥』に告げき手塚治虫は


  広 島 水野 康幸

のこりたる時間を惜しみ晩年のカントが勉学に励みしを思ふ
山々の背後に入道雲わきたちて橋の上吹く海風涼し


  島 田 八木 康子

ヒッチコックさへ忘れてをりぬ「裏窓」は三度目なれどグレース・ケリーも
オオバコに小花こぞると詠めるあり幼きより見て気にも止めずき


先人の歌

小谷稔先生の冬(雪)の歌

雪の上に雪は降りゐて軒下の籠の熟柿に鵯の来る 歌集『朝浄め』より
風呂焚きし薪を雪の上に消す音なつかしく臥所に聞きぬ
離乳して小屋分かちたる牛の子の雪積む夜半にしづかになりぬ
雪に暮れし一日思へば育苗機買へと勧めて人の来しのみ
山深く棺の車迎へむと弟は融雪剤を撒きに出で行く 歌集『大和恋』「母逝く」より
重箱の餅負いて寺に行く習ひ今も守りて雪踏みて来ぬ
亡き母がをとめの頃に裁縫を習ひし寺か雪深く積む

歌集『牛の子』の牛の子の歌
牛の子の乳吸ふ音の聞ゆるも寂しかりけりふるさとに寝て
牛の子を伴ひて母の嫁ぎ来しその山道も荒れて家絶ゆ


バックナンバー