東京は右翼上方に傾きて見えし時遠く花火あがれり
崖高くしげりかたまる黒松に潮けぶり吹く荒るる海より
墓石に動ける竹の葉のかげやさすとしもなき今日の光に
新しき年の幾日を昼も夜もわが校し次ぐ竹乃里歌
こまごまと物置きならべ安らぐをときをり妻の来り片づく
亡き君につながる様々の身に沁みて今夜は眠る雪の大石田
オイルガス発生炉より激しく噴く煙は紫になりて靡きつ
青笹にのこる五月の雪も見つ二十五年はすぎゆきにけり
少年の日よりわが知る石ひとつ父の母の名並びきざみたり
傾斜きびしき谷の畑は野兎に食ひちぎられし麦の一畝
すぎし日に心かへれば丘端の校舎より土屋校長来るかと思ふ
たぶの茂り透しさし来る白き日は轟き止まぬ海の方より
春寒き雨に越えゆく峠にて茂るみつまたはいま花の時
ふたり居てやさしき朝のめざめにはとどこほりなき小鳥らの声
はるばるに行きて弔はむ君の心沁みてぞ思ふ従ふ今日を
五味保義の第四歌集『一つ石』の後半(昭和30年〜34年)の作品より。
「アララギ」昭和57年12月号(五味保義追悼特集号)の「五味保義略年譜」 から、関連する部分を2カ所だけあげておく。
昭和三一年(一九五六) 五五歳
一一月、土屋文明と共編の「正岡子規全歌集竹乃里歌」を岩波書店より刊行。本年はこの一書に全力を傾注する。
昭和三四年(一九五九) 五八歳
一〇月一八日、別府の金石淳彦追悼歌会に土屋文明と出席。
取り上げた15首中3、4首目が正岡子規全歌集刊行に、15首目が金石淳彦追悼歌会に関連する作品である。
※旧字体は新字体に改めて掲載した。
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