作品紹介

選者の歌
(令和6年2月号) 


  東 京 雁部 貞夫

アララギの端くれ我等ひさびさに「女児紅」を酌む紹興の酒 酔余小言
詠みつづけ今や我等は白頭児ハクトウルしかし舌鋒つかれを知らず


  東 京 實藤 恒子

浜川の天祖諏訪神社この辺り若き文明母と住みにし
長靴ちやうくわに軍服を着け講義せし武島羽衣この隅田川



  四日市 大井 力

追伸の一行が心を去らぬ日よ雲なき西の山の夕焼け
研ぎ上げし包丁が再び錆帯ぶる臭ひがしたり夜の厨に


  柏 今野 英山

根曲り竹の煮ものにルイベの醤油漬け朝は地産のメニューにかぎる
北国のめぐみ食みつつこの恵み幻となるか鰊のやうに


  横 浜 大窪 和子

蕾もちまだまだ咲かむ酔芙蓉あす伐りますと植木屋告げくる
聖書共に学びし友の訃を告ぐるひさびさの声岐阜の君より


  札 幌 阿知良 光治

妻逝きて今日五七日雪の舞ふ朝をひとり早く目覚めぬ
窓に見る庭のダリアは雪に濡れ妻の好みし花色のなし


  神 戸 谷  夏井

植木屋のウンさんはミャンマー人日本人より気風きつぷ良きひと
阿雲さん慕ひて若きミャンマー人が海越えわが家の庭木刈りゐる


運営委員の歌


  能 美 小田 利文

予定なき一日となりて心放つウェイン・ショーターのサックスの音に
家にては聴かせしことなき「パッヘルベルのカノン」今宵も子は口ずさむ


  生 駒 小松 昶

柿を食ふ時テレビは報ずイスラエルとハマスの執拗なる殺し合ひ
歌ひつつ吾に手を振る園児らにガザの血まみれの子らの重なる


  東 京 清野 八枝

弟の手にせし文書の出版に各国の研究者協力したまふ
ユダヤ人の妻とスイスに逃れ来しムージルの思惟を論じしわれの弟 オーストリアの作家・思想家


  広 島 水野 康幸

温室の入口近く斯くも太きバオバブの樹が吾を迎へぬ
飾る花のあまたの中に遺影あり在りし日の兄と少し違ひて


  島 田 八木 康子

ことことといつも何かを煮含めてほの温かき初冬のキッチン
何が何でも人の敷地に玄関に入る手立てか固定電話は


先人の歌

東京は右翼上方に傾きて見えし時遠く花火あがれり
きし高くしげりかたまる黒松に潮けぶり吹く荒るる海より
墓石に動ける竹の葉のかげやさすとしもなき今日の光に
新しき年の幾日いくひを昼も夜もわがかうぐ竹乃里歌
こまごまと物置きならべ安らぐをときをり妻の来り片づく
亡き君につながる様々の身に沁みて今夜こよひは眠る雪の大石田
オイルガス発生炉より激しく噴く煙は紫になりて靡きつ
青笹にのこる五月の雪も見つ二十五年はすぎゆきにけり
少年の日よりわが知る石ひとつ父の母の名並びきざみたり
傾斜きびしき谷の畑は野兎に食ひちぎられし麦の一畝
すぎし日に心かへれば丘端をかはしの校舎より土屋校長来るかと思ふ
たぶの茂り透しさしる白き日は轟き止まぬ海の方より
春寒き雨に越えゆく峠にて茂るみつまたはいま花の時
ふたり居てやさしき朝のめざめにはとどこほりなき小鳥らの声
はるばるに行きてとぶらはむ君の心沁みてぞ思ふ従ふ今日を

 五味保義の第四歌集『一つ石』の後半(昭和30年〜34年)の作品より。
「アララギ」昭和57年12月号(五味保義追悼特集号)の「五味保義略年譜」 から、関連する部分を2カ所だけあげておく。

 昭和三一年(一九五六) 五五歳
 一一月、土屋文明と共編の「正岡子規全歌集竹乃里歌」を岩波書店より刊行。本年はこの一書に全力を傾注する。

 昭和三四年(一九五九) 五八歳
 一〇月一八日、別府の金石淳彦追悼歌会に土屋文明と出席。

 取り上げた15首中3、4首目が正岡子規全歌集刊行に、15首目が金石淳彦追悼歌会に関連する作品である。
 ※旧字体は新字体に改めて掲載した。

 


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