作品紹介

選者の歌
(令和6年3月号) 


  東 京 雁部 貞夫

八十五のわが誕生日さしあたりカレーを所望す若鶏がよし カレー記念日
一箇月カレー食らひて飽かざりき黄金の日々イスラムの国



  東 京 實藤 恒子

黄の色のうすくれなゐの天蓋花咲き競ひゐる寒露の今日を
文章のうましともうまし二歳上国文科同窓平岩弓枝


  四日市 大井 力

縄文の頃より千五百年人間はいくらも賢くならず争ふ
昇りくる月に添ふ星千年はいふまでもなくまたたきのひま


  柏 今野 英山

牧場のすみずみ覆ふメガソーラー放射能禍はすべてを変へた
牧場にソーラーパネルが波を打つ牛馬消え失せただよふ利権


  横 浜 大窪 和子

「盆踊」「秋桜」ケアハウスにて書き来し夫のお習字飾る
「はしばみ」終へ「青南」間なく去るといふ「新アララギ」われらひたすらに往かむ


  札 幌 阿知良 光治

兄弟姉妹揃ひて今日の七七日妻を語れば尽きることなし
十五年私の癌は詠まないで言ひゐし妻は癌にやられる


  神 戸 谷  夏井

幾駅も目覚めず眠る青年よわが肩にしばし疲れを癒せ
ときめきは若さの秘訣ためらはず日々ときめかむ齢を超えて


運営委員の歌


  能 美 小田 利文

燃ゆるなく燻るままに終はるのか物価高への怒りの声は
雪冠る山と田の面の小白鳥見つつ向かはむ支援困難者宅へ


  生 駒 小松 昶

地獄谷火口恐々覗くとき逃げまどふ犠牲者の映像よみがへる 御嶽山
頂上直下息衝き登る瓦礫の下埋もれゐむ人を踏むことなかれ


  東 京 清野 八枝

鴎外も漱石も住みし千駄木のつつましき住居を懐かしみ憶ふ
噴水の音響きゐて落葉浮かぶ池に沿ひゆく吾は「ストレイシープ」


  広 島 水野 康幸

継母に疎んじられしわが母を吾が子の如く育てし伯母は
うつせみの命を惜しみわたなかのあかき鳥居に詣で来にけり


  島 田 八木 康子

コロナ下に失ひしもの体力と気力に視力記憶力歯も
思ひがけず早く四人の親を送りくち惜し消極たりしわが生


先人の歌

 土屋文明の愛弟子で戦前・戦中に清新な生活詠で注目され、32歳で戦病死した相澤正の歌をその遺歌集(短歌新聞社文庫:文明の序文、雁部代表の解説あり)から辿ってみたい。

昭和6年(19歳) 二年前より法大予科で文明の講義を受け、この年アララギ入会、発行所にも通う。
 さはやかにみ空は晴れしひるすぎに菜の花にほふ井戸端に来つ
 昨夜も酔ひ家に帰らぬ父つれに夜明間近きまちを通りぬ
 ふみ読むと机に対ひ著るく減りゆく銭の事おもふかな
 自動車の過ぐれば元の闇ながらしろき埃は橋のうへに立つ
 硫酸工場の煤煙くだる川畔の夏草原に夕光ゆふかげはさす
 朗らかにありとぞ思ふたまゆらはすぎにし吾のいやしさを見る

昭和7年
 故郷の家に帰れば吾が母は夕光の射す縁を拭き居り
 試験終へし妹が安々寝る室に今日も夜更けて吾が帰り来ぬ
 統計図表出しきて株の儲かるをくどくど話す貧しき兄よ
 ふるさとにおやこ三人がねむる夜を父は寝言に亡き人を言ふ  
            注)十年前に死んだ作者の生母か、、
 雨しぶく銀座に夜の更けてなほ飽き足らざらむ富人の群か

昭和8年
 せまき部屋に吾が妹と住みにつつ夜には机を片付けて寝し
 汗かきてひとを夢みる吾が癖を寝床の上に起きてなげきぬ

昭和9年
 ゆふぐれのデパートの中めぐりゆき青き草買ひぬ病む友のため
 かがやける今日の入日は潮けぶる伊豆の磯わの上にたゆたふ
 高々と照れる月夜の白むまで目ざめて居りぬ海のやどりに

昭和10年 中央公論社高閲部就職。発行所と文明宅のある青山に妹と転居。
 しろじろと波立つ磯わ暮れゆきて島山見れば高き星空
 あらそひて同族うからすぎつつ事やみて相倚る今の共にまづしき
 心なじまぬ主任に今日も物を聞くマスクはづして臭ふ空気に
 うつり来し青山のまちにふりけて今日の夕日のおちゆくを見き

昭和11年
 ひと文字にこだわり居つつ幾たびか思ひかへして辞書ひきに立つ
 こまごまと質の利かきし紙片を友はかくしの中にしまひぬ
 方角の感じなき部屋に住みながらあたりよきを言ふ妹は
 新聞紙つめたる靴をはきて出づ雪いてつきし舗道の上に
 芝浦の港の空地かこひたる中をし見れば春草の萌ゆ
 うなされて蒲団をのけし妹は部屋の狭きを言ふ口ごもりつつ
 しづかなる君が薔薇咲く中に立ち三浦環をいひ出づるかも
 次々に運ばれ来る校正刷につぶやきながら一日むかひゐぬ
 雨しぶく巌のうへに須臾にして来る光の常ならなくに
                   (10月に続く)

 

 


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