土屋文明の愛弟子で戦前・戦中に清新な生活詠で注目され、32歳で戦病死した相澤正の歌をその遺歌集(短歌新聞社文庫:文明の序文、雁部代表の解説あり)から辿ってみたい。
昭和6年(19歳) 二年前より法大予科で文明の講義を受け、この年アララギ入会、発行所にも通う。
さはやかにみ空は晴れしひるすぎに菜の花にほふ井戸端に来つ
昨夜も酔ひ家に帰らぬ父つれに夜明間近きまちを通りぬ
ふみ読むと机に対ひ著るく減りゆく銭の事おもふかな
自動車の過ぐれば元の闇ながらしろき埃は橋のうへに立つ
硫酸工場の煤煙くだる川畔の夏草原に夕光はさす
朗らかにありとぞ思ふたまゆらはすぎにし吾のいやしさを見る
昭和7年
故郷の家に帰れば吾が母は夕光の射す縁を拭き居り
試験終へし妹が安々寝る室に今日も夜更けて吾が帰り来ぬ
統計図表出しきて株の儲かるをくどくど話す貧しき兄よ
ふるさとにおやこ三人がねむる夜を父は寝言に亡き人を言ふ
注)十年前に死んだ作者の生母か、、
雨しぶく銀座に夜の更けてなほ飽き足らざらむ富人の群か
昭和8年
せまき部屋に吾が妹と住みにつつ夜には机を片付けて寝し
汗かきてひとを夢みる吾が癖を寝床の上に起きてなげきぬ
昭和9年
ゆふぐれのデパートの中めぐりゆき青き草買ひぬ病む友のため
かがやける今日の入日は潮けぶる伊豆の磯わの上にたゆたふ
高々と照れる月夜の白むまで目ざめて居りぬ海のやどりに
昭和10年 中央公論社高閲部就職。発行所と文明宅のある青山に妹と転居。
しろじろと波立つ磯わ暮れゆきて島山見れば高き星空
あらそひて同族すぎつつ事やみて相倚る今の共にまづしき
心なじまぬ主任に今日も物を聞くマスクはづして臭ふ空気に
うつり来し青山のまちに振放けて今日の夕日のおちゆくを見き
昭和11年
ひと文字にこだわり居つつ幾たびか思ひかへして辞書ひきに立つ
こまごまと質の利かきし紙片を友は懐の中にしまひぬ
方角の感じなき部屋に住みながら陽当よきを言ふ妹は
新聞紙つめたる靴をはきて出づ雪いてつきし舗道の上に
芝浦の港の空地かこひたる中をし見れば春草の萌ゆ
うなされて蒲団をのけし妹は部屋の狭きを言ふ口ごもりつつ
しづかなる君が薔薇咲く中に立ち三浦環をいひ出づるかも
次々に運ばれ来る校正刷につぶやきながら一日むかひゐぬ
雨しぶく巌のうへに須臾にして来る光の常ならなくに
(10月に続く)
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