作品紹介

選者の歌
(令和6年8月号) 


  東 京 雁部 貞夫

再びは帰れぬ故郷と思ひつつ峠に立ちしか少年茂吉
意外にも書屋は大き二階建て桂の大樹が雪を防ぐか


  東 京 實藤 恒子

夏休みの半月外国の旅に出で一人の自由を愉しみにけり
一羽分の孔雀の羽根少年より購ひ抱き帰り来にけり


  四日市 大井 力

狙撃されいのち失くしていまもなほまつりごとにその名いくたびも聞く
幾本も藪をはみ出し筍が日に二十センチ空めざしゆく


  柏 今野 英山

天心の再起の地に見る「不死鳥」の大作すべて生と死のすがた
怒りくるふ濁流に友は流されて命をひろふ命の森に


  横 浜 大窪 和子

平日と休日のダイヤを見間違へバス停に思はず顔を歪めつ
一つ迷ひ暫し措かむか思はざる熱きはがきのわれを励ます


  札 幌 阿知良 光治

野良仕事の日焼けの顔のほころびて会へば背中をドスンと叩く
どんな時も人の為なら厭はないそんな男も歳には勝てず


  神 戸 谷  夏井

パレードの二つの地車に挟まれて大怪我負ひし人の出でたり
来年はいかになるらむ地域に残る神事のひとつにありたるものを


運営委員の歌


  能 美 小田 利文

買ひ置きゐし週刊朝日終刊号やうやく読まむに行方の知れず
波光る生地いくぢ漁港の船揚げ場幾年ぶりかに潮の香を嗅ぐ


  生 駒 小松 昶

吾がことをK先生とエッセイに書き下さりし資源さん逝く
エコー下に十二本生検針を打ち医師らさざめく離被架の向かう


  東 京 清野 八枝

オオムラサキ枯れて寂しきわが庭に「淀川つつじ」のくれなゐやさし
久びさに会ふ妹は病癒えその夫と道に手を振りて待つ


  広 島 水野 康幸

傾きし日は大河に照り映えて眩しさに耐へ自転車をこぐ
九十二歳の最期の日まで看護婦たちに「ありがたう」を言ひ感謝しき母よ


  島 田 八木 康子

古稀過ぎし身にしみじみとこの気付き四月がこんなに優しいなんて
濃紫こむらさきのアメリカジャスミン卓上に一夜さ持たず白花となる


先人の歌

  四十台の仕事ぢやありませんねと労られ蔑まれつつ半年過ぎぬ
  五月雨に色深みたる大谷石わが家の塀は仕上がりてゆく
  英国の子等が描きし図書室の壁の世界地図に日本はなし
  初めての日本人として入る村に挙手の敬礼する老がゐる
  ロープ引きて行き戻りしつつ牛の汲む皮袋の水は田に流れゆく
  雲はれて月の光の照るところガネシュヒマールの白き嶺見ゆ
  木々の間に遠く紅旗のはためきて遙か山腹にチベットカサの村
  戒厳令下の暗き街路をゆるがせて戦車はゆけりわが窓の下
  稔る穂のかげに錆びたる鉄条網連なりて南北に稲田を分つ
  日本一の胴掘り尽して資本去りタクシー四台置く町となる
  砂糖水にうまいと応へし一言が八十七歳の最期なりけり
  月下美人開き初むるとわれを招く今年の母の声聞き得たり
  君の個展に幾度も来てわれは対ふ共に歩みし雪のヒマラヤ
  翁草の押し花を求め給ひしより四十余年のえにしなりけり
  夜更けて机に積める封切れば煙草のにほふ原稿の出づ
  在りし日のままに先生の題字掲ぐ先生はしばみは五百号です
  昼も夜も心に染まぬことに過ぎ午後十一時わが時となる
  われの他に食らふなかりし干納豆今宵わが膝に幼子が食ふ
  迷ひなく捨つる己に驚きつつ校長六箇年の資料火に捨つ
  管理職として勤めたる十二年なかばはニトロ携へたりき

 昨年12月21日に91歳で逝去された星野清先生の第一歌集『白嶺』より。 星野先生は新アララギ選者、はしばみ代表として長く尽くされるとともに、 このホームページを熱い思いで指導してくださいました。


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