土屋文明の愛弟子で戦前・戦中に清新な生活詠で注目され、32歳で戦病死した相澤正の歌をその遺歌集(短歌新聞社文庫:文明の序文、雁部代表の解説あり)から辿る(3月の続編)。
昭和12年 世界文芸大辞典編纂を終える。陸軍教育総監部で典令範編纂。文明、樋口賢治らと那須に遊ぶ。
外国語声立て詠みてこと無げに校正しつつうつつともなし
読み合せをはりし部屋の窓下に風立つ聴けば暁となる
とどろきて岸壁を吹く風のなか行きし人夫の鉄負ひなほす
鮒の子があぎとふ壜の水更へぬ今日はしきりに救急車がゆく
校正をはじめし室にすでにして音楽おこり軍歌とよもす
昭和13年
群衆の中に立ちたるヒットラが幼子の如く片手を上げぬ
食ひ足りて家ごもる今日は妹と行火にあたりよふけまでゐぬ
仕事を割り当ててゐし声やめばもだもだとして引きかへす群
うつうつと居りたるゆふべ思ふさま烟を立てて鰊をぞ焼く
群なかに神を讃ふる声起りはや亢りし幾たりかをり
若かりし父に似て来る吾が挙動意識して人に向ふ時あり
銭湯の捨湯下ゆく香に馴れて母と住みにし路地し恋しも
昭和14年 中央公論社校閲部勤務
縁とほき吾が妹を今朝もかも言ひつつ母の髪くしけづる
石垣に降り居る雨の瀧なして一群青を打ちゐるところ
ぎこちなく立ちゐる吾の側らに雨をはらひて寄り来るをとめ
物書きて汗ばむ身体拭きに立つ静かなるかな吾が路地の月
昭和15年 文明、賢治らと九十九里に遊んだ
逢へる夜の時じくの雪顔伏せて歩める汝が額ぬれつつ
下思ふ心は言はずはつはつに零り積む雪に二人ぬれにし
寄添ひて斯く行くこともあらざりき送りてかへる雪解けの道
校正に眼かすみて立つ夕べ旗を振りつつ一隊が過ぐ
川の如き入江の彼方赤々とボーキサイトを積みし港岸
現身のかぐろき髪に吹くほこり遠くかそかに人をこそおもへ
食ひ足りて堤のうへを帰るかな文字にかかはらぬ一日たのしく
(2025年2月に続く) |