作品紹介

選者の歌
(令和6年10月号) 


  東 京 雁部 貞夫

「三軒家」の古き集落今もあり「けやき茶屋」とて鰻売る店
三河より久世氏と来りし祖を語る茶屋の親爺は居ずまひ正して


  東 京 實藤 恒子

女性にて腕組の似合ふは實藤さん仕事をしつつ荒井氏宣ひし
「新アララギ」「ヒムロ」の二誌にて指導を受け信濃人と親しみて来ぬ


  四日市 大井 力

店先の焼芋の匂ひに歩を返す夏至の夕焼ゆやけに空染まるころ
ちちははのいまだ世に在り梔子くちなしを撞き入れてやさしき色の欠餅


  柏 今野 英山

収容所長へスと家族の物語り平気な顔してみな病んでゐた 映画「関心領域」
一万余の子どもがここからガス室へならぶ絵のまへ涙とまらず テレジン収容所


  横 浜 大窪 和子

元総理は幼友だち同窓会に臨席となりて昔語りす
近頃は女房が料理の手を抜くと愚痴る福田さんに私もと応ふ


  札 幌 阿知良 光治

新しき墓碑を清めて吾が庭の額紫陽花供ふ妻の好みき
妻のみ骨意外に重し息子らと晒を抱へ墓に納むる


  神 戸 谷  夏井

幼らの遊ぶベランダに巣を掛けし足長蜂払はむ恨みなけれど
くゆる煙に身を震はせて巣を守る蜂の本能にわが胸あつし


運営委員の歌


  能 美 小田 利文

父の日の贈り物なればなほ美味し出張販売の能登町ワッフル
染めし紙に子が作りくれし青き薔薇一日楽しむ壁に飾りて


  生 駒 小松 昶

必ず生きよと避難壕の生徒に言ひ残し音楽教師の還ることなし ひめゆり学徒隊
前線の兵士ロシアの地雷踏み脚の飛ぶさまを茶の間に見つむ


  東 京 清野 八枝

五年ぶりか一瞬ありて声に出る懐かしき友の白髪しらかみ清らに 全国歌会
第一評二評厳しく温かく緑に囲まれ歌学びゆく


  広 島 水野 康幸

目を閉ぢてわが念仏解釈を聞きをりし友逝きて早十六年経つ
心臓の診断を待つわが背後長々私語する男に苛立つ


  島 田 八木 康子

戦地より戻りし時より無口にや父と話しし記憶もおぼろ
角帽と黒きマントを母は見す遺品整理の夕べなりしか


先人の歌

土屋文明の愛弟子で戦前・戦中に清新な生活詠で注目され、32歳で戦病死した相澤正の歌をその遺歌集(短歌新聞社文庫:文明の序文、雁部代表の解説あり)から辿る(3月の続編)。

 昭和12年 世界文芸大辞典編纂を終える。陸軍教育総監部で典令範編纂。文明、樋口賢治らと那須に遊ぶ。

  外国語声立て詠みてこと無げに校正しつつうつつともなし
  読み合せをはりし部屋の窓下に風立つ聴けば暁となる
  とどろきて岸壁を吹く風のなか行きし人夫の鉄負ひなほす
  鮒の子があぎとふ壜の水更へぬ今日はしきりに救急車がゆく
  校正をはじめし室にすでにして音楽おこり軍歌とよもす

 昭和13年

  群衆の中に立ちたるヒットラが幼子の如く片手を上げぬ
  食ひ足りて家ごもる今日は妹と行火にあたりよふけまでゐぬ
  仕事を割り当ててゐし声やめばもだもだとして引きかへす群
  うつうつと居りたるゆふべ思ふさま烟を立てて鰊をぞ焼く
  群なかに神を讃ふる声起りはや亢りし幾たりかをり
  若かりし父に似て来る吾が挙動しぐさ意識して人に向ふ時あり
  銭湯の捨湯下ゆく香に馴れて母と住みにし路地し恋しも

 昭和14年 中央公論社校閲部勤務

  縁とほき吾が妹を今朝もかも言ひつつ母の髪くしけづる
  石垣に降り居る雨の瀧なして一群青を打ちゐるところ
  ぎこちなく立ちゐる吾の側らに雨をはらひて寄り来るをとめ
  物書きて汗ばむ身体拭きに立つ静かなるかな吾が路地の月

 昭和15年 文明、賢治らと九十九里に遊んだ

  逢へる夜の時じくの雪顔伏せて歩める汝が額ぬれつつ
  下思ふ心は言はずはつはつにり積む雪に二人ぬれにし
  寄添ひて斯く行くこともあらざりき送りてかへる雪解けの道
  校正に眼かすみて立つ夕べ旗を振りつつ一隊が過ぐ
  川の如き入江の彼方赤々とボーキサイトを積みし港岸
  現身のかぐろき髪に吹くほこり遠くかそかに人をこそおもへ
  食ひ足りて堤のうへを帰るかな文字にかかはらぬ一日たのしく

             (2025年2月に続く)


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