清水房雄歌集 「海の蜩」より
清水房雄は大正四年千葉県東葛飾郡野田町に生まれ、昭和十三年にアララギ入会。昭和二十年倉敷にて終戦。昭和二十六年東京都立上野高校に就職。第一歌集「一去集」と第二歌集『又日々』の2冊より、自選歌集「海の蜩」を編纂した。安達龍雄氏の解説によると、「(うなじ垂れて)の一首の如きその神経の冴えはすでに象徴の域に達している趣があるが、どの歌をとりあげてみても、一つ一つが絶唱といえるだろう。」と言っている。おそらく、病妻もの(病夫もの)と言われる歌は他にも多くの傑作があるであろうが、清水房雄のものも優れた作品の一つと言えよう。
人ごみを行きつつ吾は顧みぬ病み病みて小さくなりし妻の顔
涙ながし帰りせがみし昨日よりは少しおちつき妻の眠りぬ
今日は今日の別れつぐると目をあきて妻はわが手を握りしむ
意識ありいのち惜しめるつねの声二十二年を聞きしその声
なほつたら帰つたらと言ふ枕べに寂しくわれはパン食ひをはる
先に死ぬしあはせなどを語りあひ遊びに似つる去年までの日よ
死ぬまでに指輪が一つ欲しと言ひしそれより長く長く病臥す
力こめて吾が手を握る細き手よためらふ吾を責むる如き手よ
風呂水をすてつつ嗚咽してゐたる或朝の妻おもひはなれず
うなじ垂れてわれの歩める新宿の市なかにして柿の花落つ
いついつと妻死ぬる日を待つ如くこの道かよひ三月すぎたり
吾が初めてあやつるカメラ死に近き妻を幾枚も幾枚も写しぬ
しづかなる曇りいつしか降りいでてみじかき妻の一生終る朝
かすかにかすかになりゆく心音呼吸音涙ためつつ終るわが妻
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