作品紹介
 
選者の歌
(令和6年11月号) 
 
    東 京 雁部 貞夫
  今日よりは入院の妻へ通ふ身ぞまづは神明宮の鈴打ちならす
退院のあとは伊豆の高原に過すべし若く旅せし思ひ出の地か
 

  東 京 實藤 恒子
  タクシーを自家用車として乗り回す晩年の幸ここに極まる
孔雀の羽根友らが一本づつ持ち帰り五十年後のこの十五本
 
    四日市 大井 力
  稲妻のひらめけるたび黄緑に庭木々の影かたちあらはす
朝六時はや熊蝉が遠く呼ぶ今日も暑いぞ目を開け起きよ
 
    柏 今野 英山
  ジャカランダの花見上げゆく石畳はろばろ来たるリスボンの街
建物の狭間の坂道みぎひだり路面電車はきしみて走る
 
    横 浜 大窪 和子
  アスファルトの割れめに生えて花つけし勿忘草の淡きむらさき
住む丘の地熱高きか水道の水ぬくもりて出づるこのごろ
 
    札 幌 阿知良 光治
  妻の背をはるかに越えし孫二人新盆の妻の墓に額づく
盆休み終へて息子ら帰り行く遺影の妻の笑顔が悲し
 
    神 戸 谷 夏井
  ほの暗く灯れる水槽向きむきに夢幻のごとく海月たゆたふ
ペンギンは魚類と紛ふ華麗なる泳ぎ披露す鳥にてあれど
 
 
運営委員の歌
 
    能 美 小田 利文
  不可解なる判定続きゐしが清々し三四郎選手の一本勝ちは
イスラエルを招かぬ決断貫きて語る平和の胸に響けり 長崎市長
 
    生 駒 小松 昶
  おぞましき優生保護法半世紀たちてやうやく廃止の決まる
障害を持つ人の命を軽んずる政府をここまで許し来し吾ら
 
    東 京 清野 八枝
  遊覧バトームッシュのセーヌ川クルーズよみがへるポンヌフ見上げし夏の陽射しよ
雲の海流れて夫と歩む庭風鈴あまた幻のごと鳴る
 
    広 島 水野 康幸
  お互ひに好きなまま別れし若き父の悲しき恋を日記にて知る
歌子さんと父の恋が実りなば吾はこの世に生るるなかりき
 
    島 田 八木 康子
  鮮明に蘇り来し昔日の事さへ今日は辻褄合はず
訪問客帰りし二日後知らせ来しコロナ罹患に一夜眠れず
 
 
先人の歌
 

清水房雄歌集 「海の蜩」より

 清水房雄は大正四年千葉県東葛飾郡野田町に生まれ、昭和十三年にアララギ入会。昭和二十年倉敷にて終戦。昭和二十六年東京都立上野高校に就職。第一歌集「一去集」と第二歌集『又日々』の2冊より、自選歌集「海の蜩」を編纂した。安達龍雄氏の解説によると、「(うなじ垂れて)の一首の如きその神経の冴えはすでに象徴の域に達している趣があるが、どの歌をとりあげてみても、一つ一つが絶唱といえるだろう。」と言っている。おそらく、病妻もの(病夫もの)と言われる歌は他にも多くの傑作があるであろうが、清水房雄のものも優れた作品の一つと言えよう。

 人ごみを行きつつ吾は顧みぬ病み病みて小さくなりし妻の顔
 涙ながし帰りせがみし昨日よりは少しおちつき妻の眠りぬ
 今日は今日の別れつぐると目をあきて妻はわが手を握りしむ
 意識ありいのち惜しめるつねの声二十二年を聞きしその声
 なほつたら帰つたらと言ふ枕べに寂しくわれはパン食ひをはる
 先に死ぬしあはせなどを語りあひ遊びに似つる去年までの日よ
 死ぬまでに指輪が一つ欲しと言ひしそれより長く長く病臥す
 力こめて吾が手を握る細き手よためらふ吾を責むる如き手よ
 風呂水をすてつつ嗚咽してゐたる或朝の妻おもひはなれず
 うなじ垂れてわれの歩める新宿の市なかにして柿の花落つ
 いついつと妻死ぬる日を待つ如くこの道かよひ三月すぎたり
 吾が初めてあやつるカメラ死に近き妻を幾枚も幾枚も写しぬ
 しづかなる曇りいつしか降りいでてみじかき妻の一生終る朝
 かすかにかすかになりゆく心音呼吸音涙ためつつ終るわが妻


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