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今月の秀作と選評




大井 力(新アララギ編集委員)


秀作



山本 道子

母の背にて被爆をせしと知りてより誰にも語らずとき過ごし来ぬ
幼き日画きしドームは風化して繕はれ少し変り来りぬ


評)
静かな語り口のなかに、深く作者の奥に潜む原爆の記憶が叙情性豊かにのべられていていい。



宮野 友和

轟音をたてて電車は過ぎしのち線路の草のそよぎ止みたり
髪を梳く手を包みたり細き指の冷たく少し震えて居たり


評)
一首目はよく見詰められた歌、二首目は相聞の歌、若さのなかにも浮ついたところがない。しっとりとした思いの感じられる歌でいい。



としえ

授かりし仮のいのちと君言いき今み柩に冷たきからだ
神にまた人に捧げることの意味師の死にあいてようやく知りぬ


評)
人とはいのちとは何か、真剣に考え作歌されている。こういう歌は固くなり勝ちであるが、やわらかく目の前の現実に向かっているのがいい。



新緑

リハビリに麻痺まぬがれし右手にて帯を結べり片方輪にして
厳しくも続くる養鶏のパソコンを麻痺まぬがれし右手にて打つ


評)
片方のからだの麻痺に耐え、いま立ち直ろうとする作者、麻痺を免れた、右手が頼りの現実がよく現れている。評者もエールを送りたい。



大志

若きらはブラックジャックに興じをりエノラ・ゲイ発進の島へ来りて
キャプテンの母の名といふエノラ・ゲイ銀色の機体なほさらさるる


評)
社会詠は難しいとされるが、よく消化されている。原爆のあの悲惨さも時間とともに風化しようとしている。この作者は鋭く、忘れてはなるまい、と声を上げている。社会的叙情のありかたを考えさせられる歌である。



米安 幸子

自らを信じ励めとたびし文心もとなくなりては開く
私は私に過ぎずためらふはここまでとして草引きにいづ


評)
自己の内部を直接写す、このことはむずかしい、よく観念的とされる部類の歌だが、自己の混沌のこころを、自分の動作を描くことにより成功した。いい歌である。



美穂

子の調ぶる酒呑童子の物語なびかずば討つ米国さながら


評)
子供の宿題かなにかで調べる大江山伝説、このなんでもないことがらを、作者は体制側の論理には立たず、冷静に見ているこれも一種の社会詠だ。いまの世界の現実を観念的にならず描いている。面白い歌だ。



尾部 論

午前二時地虫鳴き入る窓の下血糖値計の針を刺し居る


評)
血糖値を午前二時に計る。これは普通ではありえまい。超繁忙で恐らく就寝がその時間帯となるのであろう。いままでこの作者が歌にして来た分野のものとは違うものを感じた。しみじみとした生活感情に注目した。「午前二時の」と「の」を入れたい。


佳作




ようこ

亡き父の大塔婆に絡みし蔦掃ひこの一年のけじめとなしぬ


評)
結句により、この歌は生きた。父への思い、先祖への思いそんなものが一緒になった、「けじめ」の思いであろう。よく気持ちの分かるいい歌である。



けいこ

送りやる産着を買うによみがえる浴衣を解きておむつ縫いしを


評)
生活は変わる。便利にはなったがなにか味気ない。昔はおむつも手縫いのものであった。祖母も曾祖母もそうしたであろうその「おむつ」作りも「紙おむつ」で使い捨てである。よく分かるいい歌である。



石川 一成

遠く住む子の置きゆきしシャツを着て背筋を伸ばし街並み歩く


評)
帰省された子が忘れて行ったものか、若作りの格好をして作者は街を歩く、子への思いがあふれた歌で、注目される。ほのぼのとした思いがいい。



ヒロミヤ

蟋蟀の幼き声の透き通り盆灯籠に秋の深まる


評)
盆灯籠に秋の深まる、と言うのが平凡なのだが、次回はいま少し時間を掛けて工夫すれば更に深いものが得られよう。


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