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今月の秀作と選評




星野 清(新アララギ編集委員)


秀作



宮野 友和

弟の生まれたる夜われを連れ酒飲みに出でし父し思ほゆ

食欲無き朝と思ふにハムサンド食へば旨しも二つ三つ食ふ


評)
ある年齢になって、父の気持を忖度するのだろう。「父し」は、やや力み過ぎか。2首目、こんなことが歌にできるとは、なかなかの力量。




意味持たぬ記号の列に吾が意思を注ぎ込みつつプログラム書く

システムの回復せるを確かめて仰ぎ見るビルに兆す暁光


評)
特殊な歌材を自分の切口で、よくまとめ上げた。
2首目、暁光を目にした作者の感慨に共感できる。



大志

「僕らには年金なんぞ」と子は言ひてすこし車の速度を増しぬ

負け組みにわが子よ入るなと願ひをり春なほ浅き縁に並びて


評)
評者の提言に、下の句をここまで展開させた力量を買いたい。
2首目、上の句の表現がややゆるんでいて惜しい。



英山

いく条も雪原よこぎる貂の跡眠れる山に春は近づく

吹雪く夜にシチューを囲み暖をとる明日は休みと酒もすすみて


評)
めずらしい情景を、2首目はその場の雰囲気を、それぞれにうまく捉えている。



新緑

まちづくりに励みし友ら40年経ちても若き顔して集ふ

右の手の握力はかなり強いといふ麻痺せるわれの頼る右の手


評)
当然還暦を過ぎた仲間達、内容に心引かれる。
2首目、右手に託する思いが伝わる。



小林 久美子

牡蠣を打つ女衆みな朗らかなり色取り取りの帽子被りて

手際よき媼の手より渡されし潮の香のする牡蠣をほほばる


評)
それぞれに手堅くまとめられている。


佳作




小林 久美子

財などに縁なき吾と思ひゐしに投資信託買へと言はれぬ

嬉々として今朝は厨に立てる夫母直伝のおでん言ひつつ
意識なく臥すといふ君を見舞ふなく逝きたまひしを新聞に知る


評)
それぞれに破綻なくまとめられている。が、枠をはみ出すことなど試みて、より高みを目指してほしい。



英山

スリランカの惨禍伝ふるテレビにて親しき人住む町の名を見つ

幾葉も破壊と死骸の画像受くメールにはただHELP them のみ


評)
事柄が目立ちすぎるが、両首、ニュースを見ての単なる感想とは違う強みがある。



宮野 友和

新宿に雪降るなかを僕たちは、走る、映画の時間に遅れる

肩を寄せ豆食べながら映画を見る二人の部屋はそう寒くはない


評)
両首、様子はよくわかるが、心情の表出のうまい作者にしては物足りない。



石川 一成

屋上の扉を開けばまなかいにあまたの小島若狭の海に

我もまた晩酌止めん酒断てと肝を患う弟に言う


評)
言葉の流れに少し難、「屋上の扉開けばまなかいにあまた島見ゆ若狭の海に」とでも。2首目にもそれは言えるが、弟を思う心情はよく読みとれる。




煩わしき会議に倦みて公園に出でてもの言はぬ草木に向かふ


評)
ごたごたしていて残念。「煩わしき会議に倦みて公園のものを言はざる草木に対ふ」など、工夫の余地あり。



新緑

ハッピーバースデーを歌はれし老いはこの今が一番幸せと拍手に答ふ


評)
内容を整理し、言葉の流れをよりスムーズにしたい。



大志

職引きしスイスの友は型のごと駅の茶房を日ごと訪ふらし


評)
わかるが「型のごと…らし」では弱いのではないか。



西山

はにかみて創作ダンスを踊る子も吾の子なればただに愛しき

鳥さやぎ俄かに風のやはらかく梢を過ぎて雨は止みたり


評)
両首、一応のことは言い得たと言える。



としえ

わが知らぬ雪国の暮らし思うなり旅に来て見る雪の背の高く

土地の人より大山の話聞くにつれてわれにも見えくる登らぬ山が


評)
一応わかるが、「雪の背」などという捉え方はやめて、端的に言いたい。2首目も、あいまいさが気になる。



けいこ

ガラス戸の向うにふはり淡雪の舞ひて積もりぬ梅の小枝に

つち塀の内に白梅ほころびて日の差す路地に歩みを止めぬ


評)
一応のことは言い得た。歌を飾ろうとすることは避けるよう心掛けてほしい。



かすみ

通学路行きて帰らぬ子のための「供花を遠慮す」とちさき札立つ

今はもう誰も言はない事故のことでも忘れない潤ちやんのこと


評)
一応のことは言い得た。2首目、単独ではわかりにくい。「今はもう誰も言はない交通事故…」などと。また「通学路行きて帰らぬ子」も、より端的に表現したい。


寸言


選歌後記

 何を伝えようとするのか

 歌いたいということは、自分の思いを人に伝えたいということだと思う。
よい歌かどうかも、その歌からどれだけ作者の思いが読み手に伝わってくるかによって判断されると言えよう。
 おりおりに述べてきたことの繰り返しになるが、私どもの歌は、実に即して歌い、歌われたその実によって、作者の感懐を伝えようとしている。歌だからもちろん、五・七・五・七・七の調子にのせて、言葉のひびきを大切にすることは言うまでもないが。
 せっかくよいものに目を向けながらそれを追い求めないで、なんとなく飾ろうとするのだろうか、一首のためには意味のない言葉をただ並べてしまう例が多い。ぜひ、心してほしい。

                     星野 清(新アララギ編集委員)


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