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今月の秀作と選評




星野 清(新アララギ編集委員)


秀作



宮野 友和

音の無いテレビを見てる僕の膝に小さくなつて君が寝てゐる


評)
上の句もなかなかにうまく捉えており、気取らずに表現していることにも好感が持てる。心引かれるものがある。



大志

夕立に駅出でかねて手に取りし南フランスの旅の案内


評)
夕立に降り込められて手に取ったのが「南フランスの…」で、現実と隔った固有名詞の効果がこの歌のミソ。4句は「手にしたる」としたい。



熊谷 仁美

白熱灯の明かりでひとり過ごす夜のボサノヴァ寂しすぎなくてよし


評)
溺れることは戒めねばならないが、感覚的なところがよい。「白熱灯の明かりにひとり過ごす夜のボサノヴァは寂しすぎなくてよし」とでもしたい。




この年に逝きし友人数えつつ湯殿に足を伸ばして洗ふ


評)
何でもないような下の句だが、なかなかによい。己の命をいつくしみながら…。3句は「数へつつ」。



石川 一成

温暖化進みし証凍土より出でしマンモス眼の前にあり


評)
愛知万博の「マンモス」なのだろう。それを「温暖化進みし証」と捉えて、作者の驚きのようなものが読みとれる。


佳作




英山

散り敷ける赤き椿の苔に映ゆ濁流あらふ大岩の上

砂蒸しの温泉場より霞みたる今日登り来し開聞岳見ゆ


評)
1首目は、結句に「に」を補った方が落ち着く。2首目、4句がはさまって具合悪い。同じ言葉でも4、5句を倒置した方が通りがよい。3句を「霞み見ゆ」と切って歌うことも考えられる。



大志

雨やみて小半時なほクスノキの高き梢のしたたりを受く


評)
感じがある。「なほ」は少し出過ぎるので「小半時すぎ」とでも。



けいこ

泣き止まぬ孫を抱(いだ)きて仰ぎゐる雪に光れる那須の山並


評)
ありふれた上の句のような場面も「…那須の山並」によって存在感のある歌となった。




自転車を漕ぎ行く少女の白き脛かがやくを見るこの朝もまた


評)
下の句が目立ちすぎるので「自転車を漕げる少女の白き脛わが前をゆく…」などとして作りかえたい。「漕げる」は「漕いでいる」の意。



西田 義雄

風にうねる菜の花に光降りそそぎあすかの香りを深呼吸する


評)
上の句、情景を写そうと努めていることはよいが、ここで「香り」と言っては安っぽくなる。「あすかの風を深く吸いたり」など参考に。3句は「ふりそそぐ」とするか。



小林 久美子

早朝に夫の堀り来し筍を山椒和へして母に届けぬ


評)
「どうしてどうした」式の表現が気になる。4句を「山椒に和へて」とするとやや救われようか。筍だから「掘り」。「夜桜の…」の歌にも同様な傾向があるので注意を。



新緑

告別の式終はるまで正座する麻痺の左足を組み替へながら


評)
つらい姿勢に耐えているのだが、別れの切実な思いなのか義理でなのか、そこが不鮮明。もう一歩進めてほしい。



石川 一成

新しきランドセル光らせ幼らは下校の道を列なしてゆく


評)
選歌後記にふれた。それは「仏舞い」の歌にも通ずるものがあろう。


寸言


選歌後記

 何が核心か、よく見て捉えよう

 具体的な例として、石川さんの「新しきランドセル光らせ幼らは下校の道を列
なしてゆく」を使わせていただく。
 素直に写し取ろうとしているその姿勢に好感が持てるし、音調の整っているこ
ともよい。が、平凡な歌と言えよう。それは、表面的なところしか写していない
ので、歌から作者の思いが汲みとれないからだ。特に下の句がもの足らない。仮
に、
A「新しきランドセル光らせ幼らは茶畑の道を列なしてゆく」
B「新しきランドセル光らせ幼らは車道の端を一列にゆく」
であったならばどうか。同じ「ランドセルの列」でも、ABそれぞれから異なっ
た作者の思いを感じることができよう。
 ある情景に心引かれて歌いたいと思った時、自分は何に心引かれているのかを
よくよく吟味し、その核心となる事象をしっかりと把握して表現するように心掛
けたい。

                   星野 清(新アララギ編集委員)


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