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今月の秀作と選評




星野 清(新アララギ編集会員)


秀作



栄藤

覚めて鳴き鳴きては眠る癒ゆるなき犬を抱きて夜を明かしたり
舌癌の進みて犬の鳴き止まず安楽死をば思ひてゐたり
火葬料三百円にてわが犬は塵のごとくに葬られたり


評)
一連、愛犬に対する思いがこもっている。



西井

寺子屋の跡に建ちゐし学校が壊されて赤きマンションの建つ
オーナーが替りてはやり来し店の「ほろ酔ひセット千五百円」なり


評)
着眼がよい。



大橋 悦子

二十年ひとり暮して居し父が施設の食卓の隅に並びぬ
米寿過ぎし父と見巡る動物園幼き日のままに象は草食む


評)
特殊な状況の記念として。



新緑

杖を突き坂の昇降を繰り返すリハビリメニューをひとつ増やして


評)
懸命な努力が読みとれる。「リハビリのメニューひとつ…」としたい。



齊藤 茂

年賀状の返事まだ来ぬ北村君病はいかに今日は小正月


評)
ある年齢になればよくあることながら、手際よい。


佳作



西井

検診に異常なかりし妻と仰ぐ最接近せる赤き火星を
一点の雲なく晴れし秋空にわが靴音の吸はれつつ行く


評)
思いもあり整ったよい歌だが、あまりにも類例が多いので。



大橋 悦子

独り居の父が施設に移りゆき電話の処分をついに決めたり
小さき犬の狭き歩幅と飼い主の広き歩幅が揃いて歩む



斎藤 茂

人ごみの駅のホームに知らせ来ぬ携帯電話は君の訃報を
雨の中を始発に乗らむとペダル踏む君に逢ひたしひと目逢ひたし
鎮魂に母校の校歌歌はむと遺影の前に友とならびぬ



石川 一成

人麻呂の歌を譜(そら)んじ山の辺の道を巡らん歌の友らと


評)
収穫の多い旅となることを祈る。



栄藤

犬の命絶つべく今日は注射乞ふ治療を受けてゐたりし医師に


評)
「…今日は注射を乞ふ治療受けゐし親しき医師に」などと、まだまだ動く。



新緑

非は我の電池にありぬケイタイを何度も掛けしと君は詫びるが



英山

独り身の友の遺影のその下にオードリーの写真飾るを見つく
家を売り半年の旅に出でしてふ豪州の夫妻は屈託もなし


評)
それぞれ「写真飾られてゐつ」「…旅に出で来しと豪州の夫妻屈託もなし」として。



みどり

久々に会った友には話さない片恋のことリストラのこと
日曜の午後は家族でピザ囲みゆったり流れる時間を過ごす


評)
それぞれ「片恋もリストラに遇いたることも」「ピザを囲み」として。


寸言


選歌後記

 何に心引かれて歌いたいのか

これまでとやり方を変えて、語句の添削的なことは極力避け、対象や思いなどを いかにしぼり一首としてまとめ上げていくか、そのための助言を心掛けてきたつ もりだ。とまどいも多かったかも知れないが、この過程の中で時には後戻りをし ながら、何回か繰り返し磨いていくうちに、よりよい歌となっていくことを皆さ んが実感されたならばうれしい。
自分は何に心引かれて歌おうとしているのか、そこをよくよく吟味して表すよう に努めれば、読者の心にも届くものが生れよう。用語の吟味も、それを踏まえて なすべきことだ。
作者の一人合点の歌、場面が見えないので心持のよくわからない歌が多かった。 無事に改作は成ったが、みどりさんの「ピザ」の歌などその典型だったかも知れ ない。石川さんと新緑さんの歌を例として、少し考えてもらいたい。
 ・習えども忘るることの早くして傍えの若きに問いつつキー打つ
どんな場面でやっているのか。もし職場でのことならば、そのことをもっと感じ させるように言ってみると、
 ・習えどもつぎつぎ忘れこの朝も傍えの若きに問いつつキー打つ
などが考えられる。パソコン教室のようなものならば、またそれなりの工夫もで きよう。
 ・利(き)く手にて郵便受けより取り出だし口に噛みゐる手提げに入れぬ
このままで、作者がしたことはわかるが、そのことの意味するところは不明だ。そこで、
 ・利(き)く手にて郵便をとり常のごと口にくはふる手提げに収む
とでもすれば、障害を持ちながらの生活の一場面であることが伝わるのではない
か。


                     星野 清(新アララギ編集委員)


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