作品投稿


今月の秀作と選評




星野 清(新アララギ編集会員)


秀作



英 山

若き日に剥き出しの衝撃覚えたる原爆ドームを木々は囲めり
壁一面炎の赤の走りたる「明日の神話」にただ立ちつくす


評)
1首目。原作の下の句「原爆ドームは木々に囲まる」に手を加え、秀作として採ったのは着眼のよさに注目したから。2首目。このままでよいのかも知れないが、実際の絵との違和感を持った人がいることを思うと、初句を「大き壁の」とすることなども考えられよう。


佳作



斎藤 茂

特命の残業の終へ帰り来て結婚記念日妻に礼言ふ
わが好むあら煮大根盛りてあり深夜帰宅の結婚記念日


評)
この2首、実に即して歌おうとしていることがよい。やや堅いが言葉も整っている。

人むるる桜の並木過ぎ行けば老いし桜のひともとのあり
路地裏の風の通りの草の上桜の花びら積りてをりぬ
満開の桜の枝は垣を越えお濠りの水に映りてをりぬ


評)
この3首、調子も整い形よく歌われているが、内容がいかにもありふれていて淡い。力量のある作者にあえて、この辛口の評を呈する。



英 山

朝もやのモノレールの下水面に花見の船の舫ひて並ぶ
朝早き縮景園の大池に小舟浮びて花びら掬ふ


評)
1首目。原作の「並びて泊る」よりも「並んでいる」として収めたく、上の提案をした次第。2首目。作者は工夫をしたのだが、下の句は従前のものの方が上。ここは、「朝(あした)見る縮景園の大池に小舟浮べて花びら掬ふ」とでもしたい。



けいこ

サイコロに切りて西瓜を盛りたれば孫はちひさき口にほほばる


評)
「熊本産の西瓜」が、このような優れた表現に生まれ変わったことに感嘆。が、すでに指摘されていた「頬張る」のかな遣いがまたまた誤用で、今度は「ほふばる」と投稿。これでは、残念ながら秀作には推し得ない。



大橋 悦子 *

ゆずり葉の赤きつぼみに子を持たぬ悲しみ胸に不意に迫り来


評)
完成度の高い作品で秀作に推してもとも思ったが、表現や内容に類型が多くあり過ぎるので控えた。



熊谷 仁美 *

レイトショーの余韻抱きて道をゆく散りし桜の花びら踏みて
しまい忘れし赤きヒールに見送らるパーティー明けの出勤の朝
恋なのかプライドなのかこちらから送らずに待つ君のメールを


評)
1首目の原作「帰る道」では、結句との照応に問題があるので手を加えた。軽い歌ながら、それぞれ調子も整いある感情を湛えていてよい。



石川 一成

曲名の浮かばぬままにモーツアルト特集の調べしみじみと聞く


評)
同様の経験をしている人も多かろう。「モーツアルト特集」も利いて、なかなかに手際よく歌っている。



新 緑

千名の同窓生の中の妻をすぐ見つけたりテレビ画面に
歌に詠み本の余白に記したり今し座席を譲られしこと


評)
1首目の3句に「を」を加えて採ったが、4句は「直ちに見出づ」などと言いたいところ。何でも歌にする意欲はよいが、安易に完成と思ってしまう段階から、もうそろそろ抜け出せる時期ではないかと期待している。



仲山 小百合

水田に逆さに映る筑波山今日の日は良し初夏の風ふく


評)
下の句に作者の気分がよく表れている。


寸言


選歌後記

言葉にもっと関心を

短歌は少ない文字で多くのことを表現をするのだから、言葉には、もっと心を注いで使ってほしい。似たような意味の言葉でも、どの言葉が最も適切か、助詞などもどう使うべきか使わぬがよいか…。
歌を詠む者として言葉にもっと関心を持ち、こまめに辞書を使いつつ学ぶ習慣を持ちたいものだ。


                     星野 清(新アララギ編集委員)   


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