作品投稿


今月の秀作と選評



 (2006年10月)

内田 弘(新アララギ会員)


秀作



新 緑

車椅子を友に押されてロボットの車工場のラインを回る


評)
車椅子に押されて車工場を回る、しかも、ほとんどロボットが作業をしている。そこに作者の感慨がある。個性が滲み出た良い歌だ。



大橋 悦子

医師の指す欄に延命措置はせぬと署名を終えれば涙湧きくる


評)
切実な題材を良く纏めた。「父の」と言う言葉がどこかに入って纏まると、もっと良かったが、これでも、その特殊な切迫感は出ているので、受け入れて秀作とした。



小泉 誠

乳ガンを告げられし日より一月か切除手術を妻は選びぬ


評)
切実な状況を端的に歌ったところが良い。感情を表に言葉として出さないところに、却って、奥様の決意が伝わってきて、良い歌に纏まった。



栄 藤

ウオーキングの靴音軽く追ひ越してゆきし人ありわれより若し


評)
結句に作者の足の衰えに対する嘆きが凝縮されて表現されているところが、良い。さりげなく歌っているところに却って実感がある。



斎藤 茂

「母危篤すぐ帰れ」と姉の声駅のホームにケイタイ叫ぶ


評)
緊迫感が良く出た歌である。表現が自然である。「ホームのケイタイに叫ぶ」のほうが滑らかに纏まるが、このまま緊迫感を強く出すために、少し詰まった表現の方が良いかもしれない。



吉岡 健児

白髪の母の作りしいとよりの甘き煮付をひとり食みをり


評)
母に対するしみじみとした気持ちが出ていて、良い歌だ。「いとより」という具体が生きている。それを母を思いながら、一人食べている作者が彷彿とする。



英 山

雨続く池塘の道をなづみ行くリンドウの花皆閉ぢる中


評)
下の句の具体が作者の動きを生き生きと浮かび上がらせた歌になった。北海道詠なかなか纏まりのあるものであった。



石川 一成

世話役を今日引き継ぎてわが村の祭りの手順をもれなく記す


評)
作者の日常の一こまが何の誇張もなく、率直に歌われている。そこが、この歌の良さである。事実を掬い取って、それを何の衒いや誇張もなく歌うことは、難しいものなのだ。


佳作



新 緑

杖を置きラジオ体操に片手上げ皆と合わしぬ区の大会に


評)
具体的に淡々と歌っているところが良い。余計なことは歌わずに、自分の動作を客観的に詠んだのが良い。



大橋 悦子

老の身はかくも脆きか心臓マッサージに父の肋骨の折れむとぞ聞く


評)
推敲に推敲を重ねて、特殊な状況をよく一首に纏めた。その努力を大いに買いたい。



小泉 誠

廊下にて見送る他に術はなし手術衣の妻が運ばれて行く


評)
結句に作者の無力感も出ている。切迫した状況を歌う中に特色のある下の句となっているところが良い。



栄 藤

卓上に妻は土産の置物の梟をわれに向けて置きたり


評)
寸景ながら、気持ちの籠もった一首になった。奥さんの心遣いが下の句に凝縮しているところが良い。



イルカ

夕日うけイロハモミジの細やかな葉の隙間より光きらめく


評)
推敲を重ねて纏まりある一首となった。下の句の写生が良い。



斎藤 茂

十人の子を育て来しわが母は九十六にて逝き給ひたり


評)
一般的な歌い方ではあるが、気持ちが十分出た歌である。



吉岡 健児

果てしなき空に瞬く夕星に吾があくがれは未だ届かず


評)
気分が先行したきらいはあるが、情感を大切にしている点を評価したい。



英 山

富良野路は向かひの山に霞むまでただ一本の貫ける道


評)
纏まりのある引き締まった表現が良い。



けいこ

畑のなかに地蔵菩薩の祠あり片言で添ふをさなの祈り


評)
微笑ましいをさなの祈りに対しての作者の柔らかな視線が感じられる。好感の持てる作品である。



市村 恵

森の路に遇う人もなく木漏れ日の葉を反しゆく風の顫音


評)
雰囲気がある歌である。作者はこの雰囲気を何とか伝えるために、推敲を重ねた。「葉を反しゆく」で辛うじて、纏まりを得たといえる。結句はやはり軽い。



EARTH

エジプトに長らく住めるユダヤ人奴隷廃止を求めて叫ぶ


評)
辛うじて、この歌が作者の歌いたいテーマを一応伝える歌として取り上げた。他は、作者が何を歌いたいのかが、最終稿に至っても、伝わらない。それは、テーマもさることながら、時制の無視がある。助言を素直に聞いて、作品を練り上げる努力をして欲しい。最後まで、投稿したことは、今後に繋がるものである。



石川 一成

乳飲み子に飴舐めさせて機嫌とるを許さじとわが娘の怒る


評)
平凡ながら、捨てがたい味のある歌である。娘さんの心情が率直に出ているところが良い。


寸言


選歌後記
 投稿者も増えた。そして、推敲に対して、真摯に向き合う姿が作品を通じて、ひしひしと伝わってきたことを、喜びとしたい。
 表現の推敲と言う形を通して、実際に感じている感情を出そうとしている姿が伝わってきた。他人の為に歌っているわけではない。だから、本当の気持ちを的確な表現で表したいわけである。他人に分からない歌を最初から歌っても、儚い。
 人間としての共通の喜び・悲しみを感じあえたときに、私たちは、次の高いステップに至ることが出来るのだとおもう。その意味で、今月の作品に対する真摯な態度には敬服する面があった。
 斎藤茂吉の歌を、読み返した、というコメントも、嬉しかった。ともあれ、生活の実相を感じえたことを喜びとしたい。


                   内田 弘(新アララギ会員)


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